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2013年11月5日火曜日

竹から生まれたストーリー

こんにちは^^
昨日で粟島での芸術祭開催期間が終わり、SILENT Cafeも一旦営業を終了しました。
あたたかく見守っていただきありがとうございました!

その営業期間中にカフェのおみやげとしておかせてもらっていた竹でつくった写真立て。
竹からストーリーは始まりました。
過疎地のいろんなところで竹の繁殖による里山の荒廃や家屋の崩壊は問題になっていて、粟島でも例にもれず竹がいろんなところで繁殖して竹林が拡大しています。
そういう状況のなかで、粟島のある地域の竹林を切り開いて、子どもたちが自然の中で自由に遊べる場となるツリーハウスをつくろうというプロジェクトを立ちあげて、夏には香川大学の学生たちが合宿で来てくれて無数の竹を切り出してくれました。
暑い中、蚊の襲い来る中、汗を流して切り出してくれた数えきれないくらいの竹を、なんとか活かせないかと、放っておくと邪魔になってしまうものでも価値あるものにできないかと考え出したひとつが、この写真立てでした。

そんな粟島でのストーリーをもつ竹でつくった写真立てを、
今回芸術祭をきっかけに粟島に足を運んで、SILENT Cafeで時間を過ごしてくださったお客さんがそのストーリーを引き継いで、島の空気感とともに持ち帰ってくれればなという思いでつくらせてもらいました。

そうしてこの期間中に11個の写真立てが、12人のお客さんの手に渡っていきました。
写真立てお持ち帰り第一号のお客さん。「あぁいいねぇ」としきりに言ってくれて。

大学の先輩も持って帰ってくれました。「とうがくんのがんばりを」と^^

遠距離中の素敵なカップルさん。一緒に写真を撮ってもらう時「真ん中にどうぞ^^」って言ってくれたけどさすがに。笑
宇田津っていう結構離れたところから粟島まで自転車で来られたという元気なおっちゃん。「ええみやげになるわ」ってすごくあったかい笑顔で。


2回もカフェに来てくれたおばちゃん^^1回目は僕の説明が下手すぎて「展示だけで買えないんだ」と勘違いさせてしまったけど、もう一回来てくれて「今度こそは!」っておみやげにしてくれました。たくさんアドバイスやアイディアもいただきました。もっといいものをつくっていけるようにがんばりますね!

おみやげにしてくれたすべてのみなさんとは一緒に写真を撮ることができなくて残念だけど、
チェキでその場で写真をとって写真立てにつけると喜んでくれた姿、
いいねってがんばってねと言ってもらった言葉、
みなさんの笑顔、
しっかり心に刻んでるので、
それがこれからの力になりますので^^


今回のカフェでは写真立てをおみやげにという形でひとつの試し打ちとしてやってみたけれど、
これからつくっていくゲストハウスはそうやって島にあるものを活かして構成していきたいと思ってます。
「あるものを活かす」ということをひとつの柱にして。

昔は、今でも小さなところではあるけど、そんなふうにいらないものでもなんとか利用して生活の糧にするようなそんな知恵のある生活がなされてきた。
そんな生きていく、生活していくための知恵があれば、それほどお金をかけて消費しなくても自分のライフスタイルがつくれると、この島に来てここまでたくさん教えてもらっていろんなものをつくってみて、思う。

そうやって一見無いものの多いように見えるこの島であるものを活かしていくというのがひとつの活性化の形ではないかと思う。

この「ものを活かす」ということと、僕の最大のテーマである「人を活かす」というのがゲストハウスの二本柱。

カフェオープンを終えて、この1ヶ月学ばせてもらったこと、感じたことを糧にしてこれからのゲストハウスづくりにつなげてどんどん動いていきます!
まだまだ先は長いけどこれからも見守っててください^^

2013年11月4日月曜日

積み木

おはようございます^^
芸術祭期間中最後の三連休の中日も終わり、残すは今日のあと一日だけです。
SILENT Cafeの営業も継続の形を模索しているけれど、とりあえずは今日で終わってしまいます。


今日ふとカフェオーナーの息子さんが”積み木”ということに例えてこれまでの日々を表現していました。
その表現がすごくいいなと思ったのでそんなテーマで書いてみようと思います。


このカフェのオーナーの息子さん夫婦は島に来てからの約2年間、僕は今年の4月からの半年間、そしてこの営業中の1ヶ月間。その土台となる、島出身のおとーさんが島に戻ってきてからの何年もの時間。
このSILENT Cafeというひとつのプロジェクトの形をなしうるまでに積んできた時間。

積み木っていうのは土台がしっかりしてないとすぐに崩れる。
焦ってばーっと積んでいってもガラッと倒れてしまう。
ほんで誰かがその積む作業に加わると、一人で積んでいく時には見えないパターンやアイディアの積み方を見せてくれる。一人で積んでいくよりも誰かと一緒に積んでると会話が生まれたり、倒れそうになると手を添えて支えあったりする。

丁寧に、しっかり積みあげた土台の上に、自分たちのめざすオリジナルの積み木の形に向けて積んできた。

そこにこの1ヶ月で積んでいく材木に色がついて積み木に彩りが加わったような感覚。
それは出会いであり、新しいつながり、深まるつながり。








そして実際に高いとこまで積んで、ひとつの形をなしてみて「こうでよかった」とか「こんなかんじもありだな」とまた見えてくる今があるからこその新しい理想の形。
まだまだ未完成な状態だけどやっていく日々のなかでまた高く積んでいければいいとオーナーは言う。




SILENT Cafeというひとつの積み木に携わるなかで強く感じたこと、それはやっぱり積み木を積んでいく実践者でありたいなということ
実践する中でしか感じられないもの、見れない景色、語れない言葉があると思う。

このSILENT Cafeがこの芸術祭の期間が終えればゲストハウス”SILENT House”という僕の積み木を積んでいく。
そしてひとつひとつのプロジェクトの集合体としてチームとして”SILENT Island 粟島”というこれからの世代に向けた大きな積み木を積み上げていく。
ホームページはこちら。『SILENT Island 粟島』http://siaw.jimdo.com


「大事なのは日々の積み重ね 大事なのはその積み方ね
 MONGOL800」

しっかり地に足をつけた、いろんな色の彩りのある僕たちの積み木をつくりあげていきたいな。

さぁさ、最後の一日、今日も大事な一つの断片を積んでいけるように、
誠実に、まっすぐにがんばっていきますよ!




2013年11月1日金曜日

やっぱり人だよ。

瀬戸内国際芸術祭が開催され、SILENT Cafeがオープンし、
最後の一週間となりました。

この開催中・オープン中の1ヶ月に
描いていたことを実際に自分たちで実践する中で感じたこと、考えたこと、
たくさんあります。
実践する中でしか得られないものがやっぱりたくさんあります。

そのなかのひとつが、一人の「人」っていうものの大きさです。
これは前回の投稿の中でも最後に少しだけ書いたことだけど、
僕にとっては大きな得た感覚なので
今日はしっかり書いてみようと思います。


普段は閑散としていて人が歩いてるところを見ることさえまれなこの島。


そんな小さな島で開催された、知名度の高まりつつある瀬戸内国際芸術祭。

その期間に合わせてオープンした僕たち若者のプロジェクトのSILENT Cafe。

そんなカフェに足を運んでくださるお客さん。


この期間中は土日の天候が悪いことも多くて
作品の展示会場からは離れてるこの地区まで歩いて来られるお客さんがほとんどゼロに近い日もありました。
それはほんとに嘘ではなく。
だからこそ
手渡したビラを見て歩いてきてくれるお客さん、
webで見て目的地のひとつに加えてくれたお客さん、
看板をたどって来てくれたお客さん、
そのひとりひとりのお客さんが嬉しくて力になる。
そのひとりのお客さんが言ってくれる一言、見せてくれる笑顔があったかい。

「ほんとに優しいお客さんが多いなぁ」
ってみんなでいつも言ってるけどほんとにそう感じる。

それはこういうところ、人がもともといるわけじゃない場所、島の空気の中だからこそ深く感じることなのだとも思う。

お客さんだけじゃなくて、カフェや僕たちのプロジェクトを一緒に動かしてる仲間にしてもそう。
忙しく動きまわってる中でふと「この人がいなかったら」と思うことがよくある。
一人のその人がもってる存在感、考え、感じ方、アイディア、スキル、そのひとつひとつがものすごく大きいなって感じる。

僕は大阪にいた頃もラーメン屋さんでバイトをしていたけれども
その頃よりももっと濃く一人の人の大きさを感じる。
人ってこんなに大きんだなぁって改めて感じる。
お客さんが来てくれて、人がいてくれて当たり前じゃない場所だからこそ。
僕たち人を血の通ったあたたかい存在に浮かび上がらせてくれる空気感のある島だからこそ。

島の中で遊びまわる子どもたち。


無邪気な笑い声を響かせてくれる子どもたち。

子供が今はいないこの島だからこそ感じる子どもたちの純粋さ、明るさ。
開放された空気の中だからこそ解放される子どもたちの純粋さ、明るさ。


こういう島の対局にある都会が決してダメなわけじゃない。嫌いなわけじゃない。
ただそこでは見えにくくなるものがここではくっきり、はっきり見えるようになる気がする。
人が本来できる・まかなえるキャパを超えるものや効率を求めるから機械が必要になって人の存在が薄くなる。例えばね。
そんなのが都市には多い気がする。
さっきもちょっと話してたことなんだけど、人の心が潤わない。

人の規模でやったらいいじゃんかと僕は思う。

だから一般的にいわれる「グローバルに」とかいうのは僕は信用ならない。
人が見えなくなるようなことはしなくていいと思う。
それで潤うのは誰か一部の懐だけであってグローバルな人の心ではないだろうから。

ちょっと話が大きくなって観念的になっちゃったけど、
人がもつものってそれだけで十分大きなものだと思う。
人はその存在だけで十分何かを、誰かを満たしうるものだと思う。
そんなあたたかなものだと思う。
それを僕は今回のこのカフェをお手伝いさせてもらう中で改めて感じさせてもらった。

だから僕はこの島に人が来て、集まるようになって、住むようになればこういうことができるんじゃないかっていう可能性、未来にすごくときめく。
それがひとりやふたりでも。
そこに子どもが来て、生まれてってしたらどんな未来が拓けるだろうって。
そうやって人が活きて、島を活かしていければいいよなぁって思う。
僕はそう思う。


だから明後日からの最後の三連休も、来てくれるひとりひとりのお客さんを大事にして、
人のあったかさを感じながら前につながる形を模索していきたいなぁ。

コーヒー片手に砂浜で夕日を眺めてぼーっとしてたらほっとするよ。
なぁ。