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2012年11月9日金曜日

「顔のみえる関係」

自分の今の頭の中を整理して残しておくために、またブログの投稿という場をかりて、書かせてもらいます。

僕は今まで、この「OUR SHIMA PROJECT」において「場づくり」をしたいという思いをもって、考え、動き、たくさんの人を巻き込んできました。
その「場づくり」において二つの大事なキーワードが僕の思いにはあります。そのうちのひとつが「顔のみえる関係」です。

人が都会に出てきてたくさんの人がひとつの場所に集まるようになったけど、顔見知りは少ない。あいさつできる人もあまりいない。話してても表面的。
でも、ネットワーク環境の整備によって人々はインターネットを利用し、あるいは携帯電話によって、格段に人とつながりやすくなりました。facebookで知り合いとコンタクトをとり、近況を知ることができる。twitterでは会ったこともない人、ともすれば有名人・著名人とも知り合いになり、つながっているような気持ちになれる。(もちろん使い方は人それぞれで、情報収集のために使っている人もいると思います。)
一方で、「無縁社会」と言われるように孤独死する高齢者の方がいて、悩みを打ち明ける相手がいなくてひきこもりってしまう方がいる。(それは個別の問題かもしれないし、それだけで危機感をもつのは短絡的かもしれないですが。)
リアルとバーチャルが交差して、リアルが見えなくなって、バーチャルが本物みたいになってきて、そんな僕たちの間の「つながり」の距離感が微妙になってきて、不安定になっている中で、2011年3月11日の大震災が起きた。あの震災のころ、ある時新聞の一面を見たんです。そこには被災して亡くなった方の名前が書かれてました。その中に0歳の赤ちゃんの名前が書かれてたんです。僕にとって、それがものすごい衝撃的というか、うまく言葉で言い表せないですけど、心にガンときたんです。被災地には子供を亡くした親がいて、親を亡くした子がたくさんいる。それもなんの言葉も残せずに突然・・・。
それが僕にはずっと残ってて、ほんとにせめて顔のみえる範囲の人は大事にしたい、精一杯向き合いたいって強く思ったんです。なのに僕らは、いや僕は顔のみえないところで言葉をつづって、つながってる気になってた。誰かに好きな気持ちとか、腹が立つ感情とか、悲しさとかをぶつけて、それでちゃんと伝わるんだと思うようになってしまってた。でも、実際会うと、そっけなかったり、なんかメールと雰囲気が違うって感じたり、ちゃんと言葉にしなくちゃいけないことを言葉に表して伝えられなくなってた。リアルな場がだんだん希薄になってる気がしてた。本質的につながろうっていう空気が薄くなってる気がしてた。こんなんで僕は活きた関係をつくれてるのか、僕自身活きてるのか、そう思うんです。
もちろんメールがあって良かったって思うこともあるし、facebookだってすごく面白いと思う。だけど、それが人とのつながりの主要な位置を占めつつあることに僕は違和感を感じるんです。実際に人といる場で、みんながみんなに対してそうなる必要もないだろうけど、でもいつも一緒にいる人とは薄っぺらい付き合いとかもうあきあきで、ちゃんと向き合いたいんです。
そうじゃなくて、やっぱり顔のみえるなかで、相手と精一杯向き合って、相手の思ってることに少しでも近づけるように努力する、そんなつながりが僕はほしい。そんな関係を僕は築いていきたいし、必要だと思ってる。そこでは言葉がすべてじゃないだろうし、いろんな表情が見える。想像する。思いやる。時にはぶつかる。そうやって関係を築いていくことに僕は「活きる」を感じ、「生きる」を感じるから。
そんな「顔のみえる関係」を僕は島という限られた空間の中でまずつくっていきたい。島のおじいちゃん・おばあちゃん同士が、島を訪れた若者同士が、そしておじいちゃん・おばあちゃんと若者がそんなふうにつながれる場をつくりたい、そんなふうにつながることでそれぞれがもっと活きるんじゃないか、そう考えてました。具体的には、公民館・ゲストハウス・カフェ・居酒屋・ライブハウスなどいろんな要素を含んだ場にしたいと考えていました。

だけども、僕は、島の人とまだまだ「顔のみえる関係」がつくれてないなかでこんな絵を描いてました。
自分のなかで思い描いた人のイメージの中で場づくりを考えてました。
まだまだ島の中の人の関係を知らないなかで、こんな場ができると面白いんじゃないかって考えてました。
全てが的外れなのかはわからないけど、人が活きるような場をつくっていこうとするのに、十分に島のことを知れてませんでした。
外にいる僕らには「つながり」というのがとても重要なものとして映るけど、島の人にとってはどうなのか、それを想像するだけでなくもっと知ることが必要だと痛感しました。
それを今日卒論の中間発表の場で思い知りました。
今さらなのかもしれないけど、でもここで気づけて、実感できてよかったって思えてます。ここで気づくのとそうでないのとでは方向性が全然違ってくるから。
僕はやっぱり進みながら、頭を打ちながらでしかやっていけない人間なんだろうな。
でも机の上で勉強してるだけじゃなくて、実際に動くからこそ頭打ったっていう感覚もわかるんだろうし、価値が生まれるんだろうし、重みも出てくるんだと思う。そう信じてます。
でもこうやってまた気づけたのも、やっぱり周りのたくさんの人がいてくれるからです。やっぱり人なんだと、僕は思うわけです。