osp

osp

2013年6月29日土曜日

「楽しさ」からはじまるもの

前回の投稿から随分間があいてしまいました・・・。
この間でいろいろと話をしてくれたり聞いてくれたり、アドバイスやメッセージを送ってくれたみなさん、ありがとうございました。
前回みんなを巻き込んでひとつの共有の場をfacebook上でつくろうという「Share Bar」の企画は焦ることなくぼちぼちとやっていこうと思います。
それより何よりまずは僕が自分の考えてること、感じてることを発信していかなくちゃいけない、そうやって自分の内をみせていくことで少しずつ共有するものが増えて共感につながっていったらいいなと思います。
そういう中でみんなと意見を交わしたいと思った題材を「Share Bar」という場を通じて一緒に考えていけたらと思っています。
自分個人の発信と「Share Bar」での共有を同時進行でやっていく形がとれればと思っています。


さて、僕は今、夜の時間を島の外のパチンコ屋でのアルバイトに充てています。
少し前の僕ならこうやってみんなの前で「パチンコ屋でバイトしてる」なんてことは言えなかったと思います。
正直僕はパチンコをする人に時間やお金の使い方などの面で良い印象をもてなかったし、パチンコ自体要るのかと思ってました。
働き始めた頃も、「毎日毎日なんでこんな害の多いところに来るんだ」とか「パチンコ台睨んでてても何も生まれないだろ」とか「若いのにこんなとこで時間つかうなよ」とか思うこともありました。
そこで反面教師としてお金や時間の使い方を考えさせられることも多かったわけど。

だけど、もちろん接客業をする者として良くない姿勢だし、それ以上にみんなと「共有したい、共感したい」と叫んでいるのに、自分が直に接している人の背景や心理を考えずに斜めに見てしまっている自分に気づきました。
こんな姿勢じゃあ何かを共有したり共感することなんて出来るはずないなと。

誰かと何かを共有したり、「そうだよね、そんなこともあるよね」と共感することにおいて、もしかすると一番その妨げになるのは「おかしいんじゃないの、ばかじゃないの」と相手を斜めから見ることなのかもしれない。

スポーツに表すとわかりやすいかもしれないと思うので、スポーツに例えてみると、
テレビや観客席で試合を見ている側は「なんであそこであんなプレーをするんだ」とか何だっていうことができる。プレーをする側じゃない外側から全体を見渡すことができるから批判したり何もかもわかったようなことをいうことが出来る。
だけど一方でプレーをしている内側にいる人にしかわからない臨場感や心理がある。緊張して思う通りにできないこともある。プロにしかわからない世界もある。毎日努力してきた人にしかわからないものもある。
そういうふうにお互いに違う立ち位置にいるから見えてるものが違って、お互いに距離があるから共有できるものが少なくなる。外側は外側で思うところがある一方で、内側は内側でそんな外側に「お前らにはできないだろ。お前は何もやってないじゃん。」となったりする。
極端かもしれないけど、斜めにみるっていうのはそういうことなんじゃないかなと思う。

斜めにみてると自分の正しさは自分の中では強まるかもしれないけど、結局相手のことはなにもわからないままなんだと思う。
正しさや間違いなんていうのはどこまでいってもわからないし、それぞれに「これが正しい」っていうのをもってるはずだから。

自分のなかでの正しさは誰かに押し付けることなんてできないだろうと思う。
だから共有して「そういうのもありだね」って言えたらいいなって思う。

じゃあどうしたら共有していけるのかなって考えたとき、
僕にとってその一つのイメージはライブだ。
それぞれ手を上げたり動き出したり違うやり方だけど、ひとつの演奏、音をもとに一緒にその場の空気を感じて楽しむあの場。
「楽しさ」っていうのは単純だけど、共有し共感するための大事な感覚なんじゃないかと思う。
「楽しさ」も人それぞれだけど、「楽しい」という感覚なら隣の人と分かち合える気がする。

そういう「楽しさ」という感覚を周りに伝染させていくことができたら共有していくことが出来るんじゃないかと思う。

斜めからみるんじゃなく、この人の楽しみはなんだろうと思いをはせることができたなら共感することができるかもしれない。そしたら「こういうのも面白いんじゃないか」って広げていくこともできるかもしれない。
僕がそういう心持ちになってパチンコ屋に来てるおばちゃんやお兄ちゃんと一緒に笑い合うことで、パチンコ台とじゃなくて人とふれ合うのも面白いかもってなるかもしれない。そしたらちょっと何かが自分の中で広がっていくかもしれない。

同じとこに立って「楽しみ」を共有できたら、共有できる範囲も広がったりと何かが広がって、何かが変わっていくかもしれない、と僕は思っていたいです。
そうやって共有や共感できた先に見えてくるものはすごく素敵なんじゃないかと僕は思うんです。

ものを燃やしたとこから生えてきたこの毒キノコもまっすぐに見てやるとうまそうに見えたり・・・とかないね。


2013年6月6日木曜日

「みんなと試してみたいことがあるんです。」

今、煮詰まって考えたあとに出てきた、幾つかのやりたいこと、試してみたいことがあるんです。

今日はみんなへひとつの提案をさせてください。

これから僕が、僕だけのことじゃないけど、つくっていきたいものには人のネットワークが重要になってくる。
だからこれまで周りの人々に共感を呼び込めれたらと、いろんなツールをつかって自分の思いや活動の報告、人間像、価値観などを発信してきたけど
発信の質も量も不十分で、まだまだうまく巻き込んでいけてないなと感じてた。

人を巻き込んでいくというのは自分自身のゲストハウスづくりに向けてもそうだし、
そういう意味だけじゃなくてもっと大きくいえば、周りが有機的にこれからの未来に向けてつながっていくことを目論んでいるんです。
これからの時代をつくっていくのは僕達、僕達の世代なんだと僕は思ってるから、
だから僕達の間でもっと共有して、共感していくことが大事だと思ってる。
それがつながりになって、ネットワークになって、力になっていくんだと。

だから、そこで「共感」というのをひとつテーマにしてみてある仕掛けをつくってみようと思う。

今もっている材料でできることを考えてみたときに、
facebookのグループ機能を利用できないかと考えた。
例えば「教師」「飲食業」「サービス業」とかっていうふうにみんなが就いた職業でカテゴライズしてグループをつくってみる。
そこで日々働いてる中で感じること、考えてることを共有する。
同じような立ち位置にいる者同士が共有し共感につながる関係、コミュニティができないかなと。

facebookっていうのは知り合いに向けて何かを発信して共有するものだけど
逆にそれが枷になって本音だとか悩みだとかみんなで考えてみたいことは言い難かったりする。
また、今の職場の人間関係では話しにくいことや、聞けないこともあると思う。

だからあえて大きくなりすぎたfacebook上の友だちの枠をしぼりこみ、現実の人間関係の立場や利益の枠組みから解放することで、突っ込んだ話やこういうのできないかなとかいう開放的な話、価値観の幅が広がるような話ができるかもしれないと考えたんです。そこから発展してじゃあこういう店、こういう教育法やってみないか?とまでなったりするとおもしろいし。
ある程度形になってきたところで、次は「飲食×建築」とか「教師×塾講師」とかグループ同士をかけあわせてみてもおもしろい発想にいたるかもしれない。

そうやって共有していくことがfacebookなどのSNSの本来の利用価値なんじゃないかなと僕は思うんです。

そういう仕掛けをつくってコーディネートしてみたいっていうのが僕の試してみたいことです。
そういう中で何か試してみたいことやプロジェクトができたときの試し打ちの場として、僕が島のゲストハウスとして土台を整えることができたらアイディアを形にしていくまでの一連の流れができると思うのです。それは利用価値を感じるなら島に来てくれたらいいだけで、そうでなくても自分たちの思うところでやってくれたらよくって、その魅力を感じてもらえるようにするのは僕のこれからの活動次第だと自分にとって良い負荷もかけれるわけです。

ただただ僕は人がつながっていくのを見てるのが好きなんです。
お互いにいいとこを見合って、より引き出して、混ざり合って、活かされて、おもしろいものができるのを見るのが好きなんです。
お金や利益や学歴や肩書きが前提の関係なんてもう見たくない。
自分の保身ばっかりを考えてる付き合いなんてもううんざりだ。
共感もできずに自分の立ち位置からしか物事が見れずに憎みあう、否定しあうなんてもういいだろう。
そんな関係を次の時代には残したくない。
一人の人として関係、つながりをつくれるような時代にしたい。
そのためには一人一人が主体を確立する努力、お互いを引き上げる協力が大切なんだと思う。
信頼できる関係とか一緒にいたいとかこいつといると面白いって思う関係っていうのは、お互いが自分のことだけを考えててできるものじゃないだろう。
様々な問題を解決していく時、例えば復興に向けて何か政策を考えるときに本当に必要なのはお金でもなんでもなく、まずは共感できる力だろう。

僕はそう思うから
そのためのひとつのステップとして共感を生み出せるような仕掛けをつくってみたい。
ほんとにちっちゃなとこからだし、お金になんてならないことだから社会人になってまで何やってんだって思われるかもしれないけど、そういうことじゃない。
こういうことはまずちっちゃいとこでできなきゃ何もできないだろうし、お金が僕の最優先事項ではない。だからって何も考えてないわけじゃないし、人から必要とされるなら後からついてきたりまわってくるもんだろう。

なかなか言えないこと言える場、ほしくない?
考えを試せる場、ほしくない?
みんなに伝えるための場、ほしくない?
自分の幅を広げる場、ほしくない?
みんなの考えてること、感じてること知れる場、ほしくない?

だからとにかくやってみたい^^
このアイディアが腐っちゃう前に。
僕の周りにいるみんな、試しにやらせてください。
バーっと書いたから抜け落ちてるとこもあるかもしれないのでこういうふうにやったらいいかもみたいなのあったら教えて下さい!
よろしくです!


2013年6月5日水曜日

煮詰まったらラッキー

ごぶさたしてました。
いろいろと考えること、感じることがあるけれど、
なかなか言葉にするということができなくてここまできてました。
とにかく書いてみてまとめてみよー。
今の時代、メールとかLINEとか便利なものが出てきて文章にするということが少ないので定期的にこういう時間をつくることは大切だとも思うので。


最近はそうだな、
自分の中で煮詰まることが多かったというのが正直なとこです。
自分は前に進めているのかっていうので考えることが多かった。
大まかなプランは組んで毎日ひたすら一生懸命にはやっているけれど、
自分のめざすもの、現段階のひとつのゴールはプロジェクトベース型のゲストハウスをつくるということ、それに近づいているのか、それに近づくためのステップをふめているのか、
そう考えているうちに足りないものばかりが見えてくる。
そうしてちょっと後ろ向きになると
自分がやっていることがたとえ成し遂げられなくても、大きな意義をもつ理念を掲げて今チームを組んでやっている人たちの理想が実現したらいいか、と思うようにもなってしまった時もあれば
島に新しい人間として来て、僕は新しい風を吹き込むようなことができているのかと思うこともあった。

だいぶ後ろ向きになってたなぁ

じゃあ何かを変えてみよう、やめてみようと思った。

それでひたすら一生懸命でいることをやめた。
やめたというより、見返してクールダウンするための時間をしっかりとるようにした。
ただ手を動かして作業を必死にやるだけというのはやめて、ぼーっとする時間、自分の好きなことをする時間を少し増やしてみた。
僕はひとつのものしか見えなくなってどうしても視野が狭くなってしまう人間だから。
そうやって自分がやっていること、これからやることに修正を加える。
手を動かして、ちょっとぼーっとして、頭を使って、
そうすると余裕ができる、新しいものがうかんでくる。


こうやって煮詰まってみるからこそわかることがあるし
煮詰まるまで考えるっていうのは、それくらい自分の考えてることに対して誠実なんだとも思う。

自分なりの方法論を確立するまでは失敗なんてないんだろうし、
時間をかけることを惜しんじゃいけないなと思う。
時間はかかって当たり前なんだろう。
社会人になったばかりで、初めてのことばかりなんだから。
でもきっと自分の成し遂げたいものを見つめ続けていたら、遠回りなんてないんだろうと思う。
どんなことも財産になっていくはず。
だから前に進めてないことなんてないんだと思った。

どんどんtryしてみて、また煮詰めて考えて、
煮詰まるまで考えたら、その後にはすーっとする瞬間があって、
そうやって自分のものにしていけたらいい。
僕はそう思います。いやぁ今すーっとしてるからね^^