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2014年11月28日金曜日

いかされいきる

先月末で完成した五右衛門風呂が大好きで、
バイトの休みさえあれば毎日のように入ってる。
真っ暗ななか、月明かりに照らされて、星空見上げて、波の音を聴いて。
ほんと贅沢な時間。
幸せな時間。
大切な時間。

つくっていた時のことを思い出しながら
一緒に作った人のことを思い浮かべながら
これから入ってくれる、入ってほしい人たちのことを想像しながら。

ぼーっとぼーっと。

今日は「活きる」っていうのはどういうことなのかっていうことをぼーっと考えてた。
ついこないだいつも畑のことをはじめいろんなことを教えてもらってるあきおさんとも話してたこと。
ぼくらはいかされいきてる。

畑に出て土をさわってると感じる。
毎日毎日晴れの日も雨の日も、朝も夜も、虫や病害にさらされながらも、野菜たちは根をはり息をしてただただまっすぐまっすぐより環境に適した強い子孫を残すためにいきてる。
野菜たちにも歴史がある。

鶏たちにご飯をあげたり遊んだりしてるなかで感じる。
こいつらがひよこからぴよぴよ言いながら頑張って大きくなって産む卵が食卓に並ぶ。
鶏たちにもストーリーがある。

五右衛門風呂をつくって自分で火起こしして感じる。
材料にした瓦やレンガにも誰かの手が加わってること。
火があたたかいこと。炭がきらきらきれいなこと。
ものにも思いがある。
エネルギーにもあたたかさや安らぎがある。

いろんなものや命や人からいろんなものをいただいて今がある。

自分がなににいかされてるのか。
自分がなにの上に成り立っているのか。
誰かの思い、誰かの支え、誰かの言葉。

そういうものがちょっとでも見えてくると自分がいきていることを知り感じることができるのかな。
 
ただ心臓が動いて「生きる」だけじゃなくて
心が感じて「活きる」。


オープンに向けて作りこんでるなかで
もちろん続けるために考えなきゃいけないことはたくさんあるけど
やっぱりただ雰囲気が良くてただ宿泊する場所としてではなく
そういうことがちょっとでも見えて自分の生活に何かを持ち帰れる場所でありたいな。


そんなことをぼーっと思い返してた五右衛門風呂でのひとときでした。

2014年6月1日日曜日

庭づくり進行中。

おひさしぶりです。
おひさしぶりになってしまいましたけども、
ゲストハウスづくりは今年の夏に向けてしっかり走り続けてます。
あったかく、いやもう暑いほどの5月のスケジュールは外回りの整備を目標として組んできました。
隣家との間に島の竹を切り出してきて竹垣をつくったり。
今日はそんな外回りの整備の中でも現在進行中の庭づくりについて。

みんなが集まる居間に面してる庭。
三週間前くらいまではこんなかんじ。

春には桜の花が咲いてさくらんぼの実もつける。
そこに彩りを加えてほっとするような景色をつくりたいというのが最初の思い。
でも「庭でストーリーをつくることができるんやで」とアドバイスをもらって、
ただの庭じゃなくてこの島の魅力が少しでもわかるような庭をつくりたいという思いに深まった。

そこからはどんなストーリーを描くかを練って、
色合いはどうするかをクレヨンでノートに描いて、
じゃあどんな花を植えるのかを苗屋さんに見に行って考えて。
庭の雑草や水仙を抜いて掘り返して。

花や造園に関してはド素人。
自分で見て考えてイメージして土を触って。
でもそうする中でしかわからないことはたくさん。
庭の土はどんなかんじなのか、どんな植物や虫が生きているのか、一日の流れのなかでどう変わっていくのか、とかとか。
それからまたアドバイスをもらって。
島で去年の芸術祭ではカフェを営業してたあきおさんの専門は造園。
あきおさんの植物に対する考え方に影響されて畑や庭をやりたいと思った。
その考え方は「いかに植物を活かすか」ということ。
効率や形や見た目じゃなくって、植物や土の本来の力を活かして生かしてやるかが根本にあるんです。
人間本位じゃないあきおさんの教え方には命を感じる。
そんな人がそばにいてくれて考えさせてくれて教えてくれてってするのはほんとに幸せなことだなって思う。

だから土をさわって命にふれることも幸せに感じれる。

そんな過程のなかで、描いた庭のイメージは『夕焼けの海』。
ゲストハウスの目の前に広がる浜で夕方に見える景色を庭でつくりたい。
夕日から海をつたってはしる光の道を花で演出したい。
やりたいと思ったら欲張りでもやりたいんだ。

今日は大阪から来てくれてるまりちゃんと一緒にそんなイメージの土台づくり。

花が苦しまないように、けど甘やかさず自分で立っていけるように根張りのこと、水はけのこと、横に立ってる桜の木のこと、丁寧にアドバイスをもらいながら、まずは斜面になってた土台を平にしてから、波をかたどる畝たて。
高さや間隔がずれるだけでも根張りや水はけが変わってくる。
畝は花が生きていくための大切な土壌だ。

そして早朝から何時間もかけて花たちのベッド、海の波ができた。


こうやって何時間もかけて土台をつくってみて、
まだまだぼくには「花を活かす」ための知識や技術が足りないな。
自分がやりたいっていう自分本位なだけじゃだめなんだな。
思いがあるなら知らなきゃ。
ひとつひとつの花の特性や土の特性を知ってやらないと活かしてあげることはできない。
それは人と同じだ。
命を活かし、生かす。
ぼくのテーマ。
そしてイメージに近づけていくための工程のイメージや思考もまだまだ足りない。
形ばっかりにこだわってちゃいけない。形よりも大事なこと。
畝の高さ・畝感の深さはどうするとどうなるかももっと緻密に考えないと枯らしてしまうことになってた。
「これでいけるかな」とかじゃだめだ。
命を甘くみちゃだめだ。
「こうしたい」ばかりじゃだめだ。
命に自分をおしつけちゃだめだ。
ゲストハウスオープンの前に今こうやって庭で作業をできてよかった。
ほんとに植物にはたくさんのことを教えてもらえる。

できあがるまでやることはいっぱい。
大事に大事に進めていきます^^
この子たちが元気いっぱい花咲かせていきていけるように。





2014年4月14日月曜日

春。振り返りと始まりの季節。

この島に来てから2回目の春。
あっという間に一年が過ぎたなぁ。
ほんとに時がたつのはあっという間だ。
僕がこの島に初めて来てからもう2年ちょっとが経つんだなぁ。
あっちゅうまだ。

一年の始まりの季節の春を迎えるといろんなことを思い出すから
島にたどりつくまでの経緯を書いてみようと思います。


僕はそもそも国際協力の学部にいて、
「国際協力とか海外で人のために何かやってるってすげぇなぁ」
って思ってた。
だけどもカンボジアを一人旅してるちょうどその時、あの大震災と原発爆発が起こった。
「貧しい」って言われてるカンボジアから、「豊か」って思ってた日本があんなことになってる様をみたんだ。
お金がなくてもニカって夢を語る子どもたちのいるカンボジアから、原発で暮らしを奪われてる日本をみたんだ。
日本に帰ってからも復興がなんとも進まず、政治家は口だけ、大多数の人は他人事、自分も何も出来ない。
何が豊かなんだ?
なんでも揃ってる暮らし、お金さえあれば何でもどこでも手に入れられる、
だけど、欠けてる、大事なもの。
なんだか冷めてるのかな?人の心、近いようで遠い人とのつながり。。。

そんなふうに感じてたころ、香川でボランティアをしてるときこの島と出会った。
この島で自分たち、これからの世代の未来を自分たちの手でつくろうともがいてるひとたちに出会った。
こんなちっちゃな島で少数派であろうと未来を変えるために前を向いてるひとたちに出会えた。
こんな世間知らずのぼくにも誠実に向き合ってくれるひとたちに出会えた。

最初の出会いは強烈なインパクト。
鍋をご馳走になりながらむちゃくちゃ叱られました。
違う道にいってしまいそうなぼくをぼこぼこにしてくれました。
手加減の無い言葉。
初対面であんなに叱られたのは初めてでした。
でも、損得とかじゃなく思いでぶつかってきてくれたからこそ、人に対する誠意を感じたし、人として心から尊敬できて、
この人たちと戦っていきたい、この人たちとこの島でおもしろいものをつくって生きていきたいって思えた。

そしてその人たちがこの島で描く未来が僕が感じてたこの国の違和感を埋めてくれた。
光が見えにくい今の社会のなかで、僕が描きたい未来を照らしてくれた。

何より「人」で、そして次に生まれ育つ世代。
人が活き、そんな社会を次の世代に受け渡していく。

そのひとつのモデルとしてのフィールドにしていくために
ぼくはこの島を自分が生きていきたい居場所に決めた。

これがざっとしたこの島と一緒にやってるチームのみなさんとの出会いの経緯。
そして今、人が活き、人がつながる居場所としてのゲストハウスをつくるためにもがいてる。
人をほんとの意味で活かしたり、人をつなげるってこと、そしてその先にみすえるものは決して簡単なことじゃない。
だけど、僕の好きなパンクバンドは言ってた。
「政治でもシステムでもなんでも全部つくったのは人なんだ。
 だから人がそれを変えられないはずなんてないんだ。」
そのとおりだと思う。
そうやって時代はつながれてきたんだ。
より良い時代を、より生きやすい社会を、より豊かな社会を、より幸せな未来を。
そしてこれからの時代をつくっていくのは僕たちの世代だ。
僕たちの世代が次の世代に受け渡していきたいものを考えて、つながって、広げていけたら。
そのためのゲストハウスを。この島から。

なんとしてでもつくりあげたいんです。
僕にとってはゲストハウスができてやっとスタート地点なんだ。

そのために日々ひとつずつ。
みんなが集まる居間もちょっとずつできてきたし。
今日はチームのお兄さんに庭のことでアドバイスもらえたし^^
この島ならではのすーっと、ほっと、わーっとできる空間づくりを。

2年目、より濃い時間を。
今年もあっちゅうまかな。
よし!あしたも大事に。
おやすみなさい☆

2014年2月27日木曜日

初作品→数年後

こんばんは。
ちょっとパソコンで作業しててこんな時間。

2月になって引っ越しを終えて、
いざ自分でやるとなると
なかなか思うほどきれいには進まなくて、
もうすぐ2月が終わっちゃう。
そんなきれいに進むはずがないね、人間だもの。

だけど、一人になる時間が増えて
ちょっと数年後の自分を想像してみたりする。

数年後、もし今やってることがあかんくなった自分を想像するとぞっとする。

数年後、この島、このゲストハウスに若者が集まって、心の底からすーって笑い合える、本音が素直にだしあえる、そんな場にいる自分を想像するとたまらなくなる。

それもこれも今の、目の前のことの積み重ねなんだね。
数年後、にかっと笑ってられるように。
まわりのみんなも笑ってられるように。

いまは発信を充実させるためのネットの勉強中。
Webのことなんてサッパリで、頭んなかパニックだけど、できたら楽しいもんだ^^
できることが少しづつでも増えるのはやっぱり純粋に嬉しいよね。
下の画像は画像加工ツールをいじってできた初作品。
文字を雲っぽくするっていうのをまとめた動画を見つけたから真似してみました^^
まだまだこれからだー!
がんばりますよ♪


2014年2月8日土曜日

がむしゃらさ

こんばんは。
ここんとこ寒いですね。この島でも雪が降って積もってます。
島でも雪積もるんだなぁ。

そんな寒い日々のなかで僕にも厳しい現実の壁が。
ある財団にゲストハウスをつくるための助成金の申請をしていたんだけども、
「惜しくも選に漏れる結果となりました。」っていう通知が。
「来た来た!」ってテンション上げて封筒ビリビリやぶいて開けたのに。

チームのみんなに相談してアドバイスもらって提出して、
通るものだと思ってたから、
「なんでだ!」ってしばらくなっちゃったし、
「若いもんがこういうのしようとしてるのに応援してくれてもいいよな」って思っちゃって、
どんな判断基準してるのかなとか、ダメならダメで足りんとこアドバイスしてくれたらなとか、あぁこのかんじ就職活動の選考と似とるなって感じたり。



こんなときは家の前の堤防座って海を眺める。

そしたら
まぁしゃーないよな
きっともっと面白いことしようとしてる人がおるんやろうな
自分で人に伝えるために足りないとこ考えんとな
って思える。
「やさしさに包まれたなら」の歌のなかでも
『目に映るすべてのことはメッセージ』
って言ってるしな。
これも何かのメッセージなんだろな。

そうやって考えてたら、
お金がいるとこってどこなのかをざっくりじゃなくてもっと具体的にイメージして出していかなくちゃなと思って
最近はノートにスケッチして、ネットで情報収集して、ホームセンターで実物見てっていうようなことをしてます。

そしたらまたおもしろいものがたくさん出てくる。
都知事選に出てる家入さんの渋谷ハックで応援もしてる「CHIKAKEN」っていう竹あかりをつくってる人たちを見つけて。
(CHIKAKENのホームページ→http://chikaken.com/index.html
地域にあるものや人を活かすことで地域をたてるっていう自分がイメージしてたことと近いことをもう実践してる人がいた!

こういう人たちとネットワークをつくっていけたら地域だっておもしろくなるよね。
そのCHIKAKENさんの信念ていうのが、
「誰でもできることを誰にもできないくらいやる。」
そうだな、もっともっとがむしゃらにならなくちゃ。
がむしゃらさっていうのはまわりを見ずに突き進むことじゃなくて

まずは自分やチームでできることから。自分の頭でめいいっぱい考えてまわりにあるもの、いる人たくさん吸収してそれを力にしていくことなのかな。

また日常のこと書いていきます^^
今日はこのくらいで、おやすみなさい☆


2014年1月24日金曜日

正しさなんて誰もわからん

ドラマ版「任侠ヘルパー」全部見終わった。
結果、ちょっと寝不足。
でも寝不足を超える何かをもらえるならそれはいいよね。
睡眠よりも任侠ヘルパーを体が求めてたんだもん。笑


これがドラマで放送されてた頃、たぶん中学生くらいだと思うけど、
その頃感じてたこととはまた違う感じ方をした。

「弱きを助け、強きを挫く」
このドラマのきっとテーマなんだと思うけど、
弱い人が正しくないわけでも、強い人が正しいわけでもない。

やっぱり正しさなんていうものは誰にもわからない。
誰にもわからないというか、すべての人にあてはまる正しさなんていうのはないんだと思う。
目が離せない人を身体拘束するのは正しいか、否か。
家族が最後まで介護するのが正しいか、否か。
延命治療をするのが正しいか、否か。

誰の目線で正しいととるのか。

正しさを追い求めたってきっとみんなに当てはまる答えはないんだろうな。
みんな違うんだからな。
生まれた場所、育った環境、出会った人、生きてきた時代。
立ちはだかった困難、乗り越えるための努力、挫折、そして幸せ。
何をどうとらえるかの価値観。
一人の人をつくる要素はもっともっとたくさんある。
それだけの背景をもつ一人の人が正しさを主張しても、横にいる人もそれだけの背景をもってるんだから、正しさが食い違っても当たり前だ。

だから正しさを求めて生きることはないよね。
自分なりの正しさにしかたどりつけない。
こうしなくちゃ、なんてことはないんだろう。

だから、誰もよくわからないこうしなくちゃってことにとらわれるんじゃなくて、目の前にいる人や自分が近いと感じる人をまっすぐ見れたらいいよなって思う。

「僕たちは世界を変えることができない」の映画のモデルになった葉田甲太さんは、カンボジアの人たちが自分にとっては近くに感じてほっとけない存在だからっていうようなことを言ってた気がする。
目の前にいる人、自分が近くに感じる人、人生かけて何かを共有したい人と、違いを共有して、喜びも共有できたら、それがいいんじゃないかと思う。
大多数の人が言ってるけど誰もわからないことで悩んで迷ったりするよりも、目の前にいる人に寄り添って分かち合う努力したいなと僕は思う。

弱さも強さも全部ゼロにして
主張よりも共有をめざして
「やっぱりこうしなくちゃ」じゃなくて「あの人とこういうのしたい」で動く
そんな場としてのゲストハウスをつくっていけたらいいな
って僕は任侠ヘルパーを観て改めて思ったよ。

だから明日からもまずは引っ越し作業、がんばりますよー!^^

2014年1月22日水曜日

人間味

ちょっと間空いちゃいましたが、
その間に台所とお風呂をとりあえず自分が生活できるとこまで掃除完了しました^^

そやって掃除しながら、
最近は発信のことを考えてた。
発信どんなふうにするともっといいのかなって。
これから人を巻き込んでいけたらなぁと思うこともあるし。

ネットやブログで文面だけで伝えることにはやっぱり限界があるんだろうけど、そんななかでもどんなふうに発信するとより等身大の自分に近い藤賀という人間を発信することができるのか、どんな言葉や口調だといいのか、どんなふうだと応援したくなるのか、とかとか。
自分が逆の立場だったら、これから何かしようとしてる人がいるとして、とりあえず自分に近いものが感じられたらきっと背中押してあげたくなるんだろうなって思う。
それだけじゃないだろうけど、でもそれって大きいかなと思う。
「これだけやってます」だけじゃなくって、悩みやら不安やら駄目なとこやらできないことやらっていうのが見えると、「こいつも人間だな」って近く感じると思う。
自分の人間像をもっと伝えていけたらいいんだろうなと思う。
それは仕事のなかでもそうじゃないかなと思う。甘えを生むためじゃなくて、信頼するためにはやっぱり人間味っていうのは大事なんだと思う。

そしてそういういろんな色をもつ人間がこういうことやってるよっていうのでひとつのストーリーになるのかなと思う。
そしたらそのストーリーを読んでるだけでおもしろいって人もいれば、その登場人物になったろかいって思う人も出てくるかもしれないよね。

今までも発信するときはこんなふうにやったらいいんじゃないって言ってもらってたけど、やっとピンときました。すいません。
やっぱり見直してみるとどっかうまく綺麗にまとめようとしてたりするもんね。
まだまだ先のことが見えてこないとダメだな、ぼく。

これからそういうふうに自分のこと、考えてること、やってること、やりたいこと伝えていけたらいいな。
facebookでは日常の活動の光景や内容、ふとしたことを、ブログでは一日の中で考えたちょっと抽象的な思いとかを文章にして。利用できるもの、もっとうまいこと使っていきます。

とりあえずはそんなことを意識しながら、でももっと味が出していけるように工夫しながら発信していきます。

じゃあ一日お疲れさま、ありがとう^^

2014年1月16日木曜日

掃除の中で”もの”思う

今日も昨日に引き続きキッチンの掃除。

掃除や片付けをしていていつも思うのは、ものにも本分や役割があるんだなっていうこと。
お盆にはお盆の、コップにはコップの役割、働きがある。
箸にしかできない役目がある。
その人にはそのスプーンにしか務まらない務めがある。
本来ものっていうのはそういうもんだと思う。
ものは自分の身体の延長だったり、能力を引き伸ばしたり、自分では出来ないことを補ってくれるもの。そうして生活を豊かにしてくれるもの。
だから人がもつべきもの、身の回りにおいておくものは最低限でかまわないはずだった。
だけど大量生産・大量生産がそれをかき乱した。
機能やデザインが少し変わっただけで、他の人が違うものをもっているだけで、新しいものがほしくなる。
そういう流れや流行のなかで本来ものがもつ役割を人が最大限に活かせなくなったのだと思う。
忙しさにまみれてものをちゃんと活かして手をいれる時間がなくなったのも大きいんだろう。

ぼくたちはどうしてこんなにもものを活かすのが下手くそになったんだろう。
どうしてちゃんと役目をもってるこのスプーンじゃダメになったんだろう。

ものを活かしてやるには活かす側の人もきっと自分ではできない役目をこいつに果たしてもらおうっていう感覚がないとだめなんだろう。
ものを大事にするってなかなか難しい。
けどそう思うと新しいものにぼんぼん買い換えるよりも、ひとつのものをずっと大事に使うほうが面白いんじゃないかなと思う。

そしてそうやって自分の大事にしたいものをちゃんと大事にすることができれば、新しいものを買うのに必要なお金もいらなくなる。
そしたら働く時間ももうちょっと減らせて、働き方も変えれる。
そんーな簡単にはいかないんだろうけど、自分が何に充実をおくかなんだろうな。
けどひとついえるのはきっとものを浪費するのは時間を浪費するってことなんだと思う。

自分の生活に必要なもの、自分の生活にこれがあってくれたらっていうものをちゃんとわかって、大事にしてたいなと僕は思う。
飾ってあるだけでどこに何があるのかもわからないようなたくさんのものに囲まれるよりも、自分の生活を補って豊かにしてくれる最低限のものたちに囲まれる生活。
より人間らしい生活をめざして。

掃除をしててふとそんなことを思った一日でした。
明日も引き続き、引き続き頑張ります^^

2014年1月15日水曜日

家が決まりました!

新年初の投稿。
遅くなりましたが明けましておめでとうございます。

さぁ今年は忙しくなりますよー!
というのはゲストハウスの立地が決まりました^^
家を借りれるようになりました!
今までは借りてなかったのと思われるかもしれないですけど、
そうなんです。
今まではチームの若い夫婦のお家で一部屋借りてずっとお世話になっていました。
過疎地では空き家が増えていることが問題になっているけれど、
空き家を仲介して賃貸する業者がいないことも問題なんです。
そこに住みたくて借りたくても、縁がなかったり顔が知られてなかったりするとなかなか借りるのが難しいんです。
もう長い間住んでなくて、子孫が都市部に出てたりすると、契約を結ぶのも難しい。
だけどそうしているうちに家は老朽化して住めない状態になっていってしまう。
住みたい人と家に手をいれてほしい人のマッチングが上手くいく仕組みをつくっていけるといいなと思う。

さてさて、その家の入口はこんなかんじ!
葦がトンネルになってます^^
トンネルの向こうは砂浜・海が広がってます!

家の前はどうしたろうかなぁとか
縁側どんなかんじにしようかなぁとか
この部屋どうしようかなとか
この空間に人がいるイメージをするとワクワクして止まらないですね^^
この家も一緒にチームでやってるおとーさん夫婦が住んでた家で愛着がある場所だから大事にしたい。大事につくりあげたい。家を最大限に活かしたい。
書いたような問題もあるけど、前に住んでた人の思いを継ぐことができるのも空き家の良いところだと思う。

やりたいことはたくさんあるけど
まずは自分が住んでみて、暮らしてみて、家を感じてみたい。
そのために今はキッチンの掃除から。
一軒の家を衛生的に管理するための苦労を改めて知りました。
掃除ひとつでも考えること、身につく力は大きいなと思う。
やっぱり自分の身の回りのことを大事にできる人でありたいと思う。

今月中には引っ越しができるように。頑張ります^^


年末年始とバタバタしててなかなか発信できてなかったですけど
今年もあたたかく見守ってもらえると嬉しいです^^
やりたいことたくさんあるので
やっていく姿みててください!
よろしくお願いします!