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2013年11月5日火曜日

竹から生まれたストーリー

こんにちは^^
昨日で粟島での芸術祭開催期間が終わり、SILENT Cafeも一旦営業を終了しました。
あたたかく見守っていただきありがとうございました!

その営業期間中にカフェのおみやげとしておかせてもらっていた竹でつくった写真立て。
竹からストーリーは始まりました。
過疎地のいろんなところで竹の繁殖による里山の荒廃や家屋の崩壊は問題になっていて、粟島でも例にもれず竹がいろんなところで繁殖して竹林が拡大しています。
そういう状況のなかで、粟島のある地域の竹林を切り開いて、子どもたちが自然の中で自由に遊べる場となるツリーハウスをつくろうというプロジェクトを立ちあげて、夏には香川大学の学生たちが合宿で来てくれて無数の竹を切り出してくれました。
暑い中、蚊の襲い来る中、汗を流して切り出してくれた数えきれないくらいの竹を、なんとか活かせないかと、放っておくと邪魔になってしまうものでも価値あるものにできないかと考え出したひとつが、この写真立てでした。

そんな粟島でのストーリーをもつ竹でつくった写真立てを、
今回芸術祭をきっかけに粟島に足を運んで、SILENT Cafeで時間を過ごしてくださったお客さんがそのストーリーを引き継いで、島の空気感とともに持ち帰ってくれればなという思いでつくらせてもらいました。

そうしてこの期間中に11個の写真立てが、12人のお客さんの手に渡っていきました。
写真立てお持ち帰り第一号のお客さん。「あぁいいねぇ」としきりに言ってくれて。

大学の先輩も持って帰ってくれました。「とうがくんのがんばりを」と^^

遠距離中の素敵なカップルさん。一緒に写真を撮ってもらう時「真ん中にどうぞ^^」って言ってくれたけどさすがに。笑
宇田津っていう結構離れたところから粟島まで自転車で来られたという元気なおっちゃん。「ええみやげになるわ」ってすごくあったかい笑顔で。


2回もカフェに来てくれたおばちゃん^^1回目は僕の説明が下手すぎて「展示だけで買えないんだ」と勘違いさせてしまったけど、もう一回来てくれて「今度こそは!」っておみやげにしてくれました。たくさんアドバイスやアイディアもいただきました。もっといいものをつくっていけるようにがんばりますね!

おみやげにしてくれたすべてのみなさんとは一緒に写真を撮ることができなくて残念だけど、
チェキでその場で写真をとって写真立てにつけると喜んでくれた姿、
いいねってがんばってねと言ってもらった言葉、
みなさんの笑顔、
しっかり心に刻んでるので、
それがこれからの力になりますので^^


今回のカフェでは写真立てをおみやげにという形でひとつの試し打ちとしてやってみたけれど、
これからつくっていくゲストハウスはそうやって島にあるものを活かして構成していきたいと思ってます。
「あるものを活かす」ということをひとつの柱にして。

昔は、今でも小さなところではあるけど、そんなふうにいらないものでもなんとか利用して生活の糧にするようなそんな知恵のある生活がなされてきた。
そんな生きていく、生活していくための知恵があれば、それほどお金をかけて消費しなくても自分のライフスタイルがつくれると、この島に来てここまでたくさん教えてもらっていろんなものをつくってみて、思う。

そうやって一見無いものの多いように見えるこの島であるものを活かしていくというのがひとつの活性化の形ではないかと思う。

この「ものを活かす」ということと、僕の最大のテーマである「人を活かす」というのがゲストハウスの二本柱。

カフェオープンを終えて、この1ヶ月学ばせてもらったこと、感じたことを糧にしてこれからのゲストハウスづくりにつなげてどんどん動いていきます!
まだまだ先は長いけどこれからも見守っててください^^

2013年11月4日月曜日

積み木

おはようございます^^
芸術祭期間中最後の三連休の中日も終わり、残すは今日のあと一日だけです。
SILENT Cafeの営業も継続の形を模索しているけれど、とりあえずは今日で終わってしまいます。


今日ふとカフェオーナーの息子さんが”積み木”ということに例えてこれまでの日々を表現していました。
その表現がすごくいいなと思ったのでそんなテーマで書いてみようと思います。


このカフェのオーナーの息子さん夫婦は島に来てからの約2年間、僕は今年の4月からの半年間、そしてこの営業中の1ヶ月間。その土台となる、島出身のおとーさんが島に戻ってきてからの何年もの時間。
このSILENT Cafeというひとつのプロジェクトの形をなしうるまでに積んできた時間。

積み木っていうのは土台がしっかりしてないとすぐに崩れる。
焦ってばーっと積んでいってもガラッと倒れてしまう。
ほんで誰かがその積む作業に加わると、一人で積んでいく時には見えないパターンやアイディアの積み方を見せてくれる。一人で積んでいくよりも誰かと一緒に積んでると会話が生まれたり、倒れそうになると手を添えて支えあったりする。

丁寧に、しっかり積みあげた土台の上に、自分たちのめざすオリジナルの積み木の形に向けて積んできた。

そこにこの1ヶ月で積んでいく材木に色がついて積み木に彩りが加わったような感覚。
それは出会いであり、新しいつながり、深まるつながり。








そして実際に高いとこまで積んで、ひとつの形をなしてみて「こうでよかった」とか「こんなかんじもありだな」とまた見えてくる今があるからこその新しい理想の形。
まだまだ未完成な状態だけどやっていく日々のなかでまた高く積んでいければいいとオーナーは言う。




SILENT Cafeというひとつの積み木に携わるなかで強く感じたこと、それはやっぱり積み木を積んでいく実践者でありたいなということ
実践する中でしか感じられないもの、見れない景色、語れない言葉があると思う。

このSILENT Cafeがこの芸術祭の期間が終えればゲストハウス”SILENT House”という僕の積み木を積んでいく。
そしてひとつひとつのプロジェクトの集合体としてチームとして”SILENT Island 粟島”というこれからの世代に向けた大きな積み木を積み上げていく。
ホームページはこちら。『SILENT Island 粟島』http://siaw.jimdo.com


「大事なのは日々の積み重ね 大事なのはその積み方ね
 MONGOL800」

しっかり地に足をつけた、いろんな色の彩りのある僕たちの積み木をつくりあげていきたいな。

さぁさ、最後の一日、今日も大事な一つの断片を積んでいけるように、
誠実に、まっすぐにがんばっていきますよ!




2013年11月1日金曜日

やっぱり人だよ。

瀬戸内国際芸術祭が開催され、SILENT Cafeがオープンし、
最後の一週間となりました。

この開催中・オープン中の1ヶ月に
描いていたことを実際に自分たちで実践する中で感じたこと、考えたこと、
たくさんあります。
実践する中でしか得られないものがやっぱりたくさんあります。

そのなかのひとつが、一人の「人」っていうものの大きさです。
これは前回の投稿の中でも最後に少しだけ書いたことだけど、
僕にとっては大きな得た感覚なので
今日はしっかり書いてみようと思います。


普段は閑散としていて人が歩いてるところを見ることさえまれなこの島。


そんな小さな島で開催された、知名度の高まりつつある瀬戸内国際芸術祭。

その期間に合わせてオープンした僕たち若者のプロジェクトのSILENT Cafe。

そんなカフェに足を運んでくださるお客さん。


この期間中は土日の天候が悪いことも多くて
作品の展示会場からは離れてるこの地区まで歩いて来られるお客さんがほとんどゼロに近い日もありました。
それはほんとに嘘ではなく。
だからこそ
手渡したビラを見て歩いてきてくれるお客さん、
webで見て目的地のひとつに加えてくれたお客さん、
看板をたどって来てくれたお客さん、
そのひとりひとりのお客さんが嬉しくて力になる。
そのひとりのお客さんが言ってくれる一言、見せてくれる笑顔があったかい。

「ほんとに優しいお客さんが多いなぁ」
ってみんなでいつも言ってるけどほんとにそう感じる。

それはこういうところ、人がもともといるわけじゃない場所、島の空気の中だからこそ深く感じることなのだとも思う。

お客さんだけじゃなくて、カフェや僕たちのプロジェクトを一緒に動かしてる仲間にしてもそう。
忙しく動きまわってる中でふと「この人がいなかったら」と思うことがよくある。
一人のその人がもってる存在感、考え、感じ方、アイディア、スキル、そのひとつひとつがものすごく大きいなって感じる。

僕は大阪にいた頃もラーメン屋さんでバイトをしていたけれども
その頃よりももっと濃く一人の人の大きさを感じる。
人ってこんなに大きんだなぁって改めて感じる。
お客さんが来てくれて、人がいてくれて当たり前じゃない場所だからこそ。
僕たち人を血の通ったあたたかい存在に浮かび上がらせてくれる空気感のある島だからこそ。

島の中で遊びまわる子どもたち。


無邪気な笑い声を響かせてくれる子どもたち。

子供が今はいないこの島だからこそ感じる子どもたちの純粋さ、明るさ。
開放された空気の中だからこそ解放される子どもたちの純粋さ、明るさ。


こういう島の対局にある都会が決してダメなわけじゃない。嫌いなわけじゃない。
ただそこでは見えにくくなるものがここではくっきり、はっきり見えるようになる気がする。
人が本来できる・まかなえるキャパを超えるものや効率を求めるから機械が必要になって人の存在が薄くなる。例えばね。
そんなのが都市には多い気がする。
さっきもちょっと話してたことなんだけど、人の心が潤わない。

人の規模でやったらいいじゃんかと僕は思う。

だから一般的にいわれる「グローバルに」とかいうのは僕は信用ならない。
人が見えなくなるようなことはしなくていいと思う。
それで潤うのは誰か一部の懐だけであってグローバルな人の心ではないだろうから。

ちょっと話が大きくなって観念的になっちゃったけど、
人がもつものってそれだけで十分大きなものだと思う。
人はその存在だけで十分何かを、誰かを満たしうるものだと思う。
そんなあたたかなものだと思う。
それを僕は今回のこのカフェをお手伝いさせてもらう中で改めて感じさせてもらった。

だから僕はこの島に人が来て、集まるようになって、住むようになればこういうことができるんじゃないかっていう可能性、未来にすごくときめく。
それがひとりやふたりでも。
そこに子どもが来て、生まれてってしたらどんな未来が拓けるだろうって。
そうやって人が活きて、島を活かしていければいいよなぁって思う。
僕はそう思う。


だから明後日からの最後の三連休も、来てくれるひとりひとりのお客さんを大事にして、
人のあったかさを感じながら前につながる形を模索していきたいなぁ。

コーヒー片手に砂浜で夕日を眺めてぼーっとしてたらほっとするよ。
なぁ。



2013年10月10日木曜日

「Silent Cafe」オープン!

10月5日に粟島で活動する僕たちのカフェ、「Silent Cafe」がオープンしたということをfacebook、twitterを通してお伝えしました。
この投稿ではそのカフェについてもう少し突っ込んで書きたいと思います。

僕は今、島出身の方と、その息子さん夫婦とともにチームとしてこの粟島の中で
プロジェクトをつくり活動しています。
そのプロジェクトの一つの要としてこのカフェはあり、
息子さん夫婦がカフェの主体として、今まで外で働きながらも今回の瀬戸内国際芸術祭の期に向けて、その準備を重ねてきたのです。
あくまで利益を追求せず、現段階でできることを考えながら、自分たちの思い描くものを形にし、前につなげていくというスタンスが今回のカフェの運営方針となっています。
そこに僕はこれからのゲストハウスづくりに向けての前段階として一緒にやらせてもらっているという形になります。

これまではチームのこと、プロジェクトのことはあまり表立っては発信してこなかったので、僕のやっていることの輪郭がみえづらいという方もおられたかと思いますが、
ざっと説明するとこんなふうです。

ということで、思い描くものはどんなものか、今できることとしてどんなことを積み上げてきたのか、ちょこっと紹介したいと思います。


まずは部屋の外に作ったテラス

テラスの床面をはるのに使ったのが、島で昔焼かれていたレンガ。歴史はなんと150年もののレンガ。

これをせっせと運んできて、家の目の前にある浜からせっせと運んできた砂の上にしきつめました。

しきつめるのがほんとに難しい。ただただせっせとしきつめてセメントで固めてしまった僕。出来上がると床面は段差ができてガタガタに。やってみて初めてこだわりというものは何なのかを痛感しました。ものをつくるということのなかでこだわりをもってつくりあげるということの偉大さ、味をだすというのは偶然の産物なんかじゃないということが身にしみてわかりました。

そうしてできたレンガの床面の上に、竹林から切り出してきた竹をつかって島出身のおとーさんが壁と屋根を。
僕が目隠しの竹編の壁を。











そうして完成したテラス!


島にあるものでほとんど作り上げました。
今の生活の中では使わなくなってしまったもの、埋もれてしまっているもの、あるものを活かせばこれだけのものができるんだ。
カフェに来店された際にはぜひこのテラスも利用していただけると嬉しいです。
床はちょっとガタガタですけど、それも当時の僕を等身大にうつしだしたものですので^^
竹の涼しさ、竹の屋根から漏れてくる光のあたたかさを感じてもらえるといいなと思います!



次に家の外の壁画
もともとはコンクリート張りの壁でした。


ここに島のおとーさん、おかーさんとの昔からの知り合い、仕事仲間のアーティスト諸戸美和子さん(以後もろさん)がこれからのプロジェクトのイメージを壁画としてデザインし、8月の猛暑と蚊の群れに襲われる中、もろさんとともにみんなでペンキをぺたぺた塗り、絵を描きあげました^^




そして完成した壁画!


あのコンクリート張りの壁がこんなに色鮮やかで、ストーリーのある壁に生まれ変わりました!
プロジェクトの象徴であるもろさんの壁画。
ほっとするやわらかさ、なんだか元気になるあたたかさがあるこの壁画が僕は大好きです。
そんな世界をこの粟島につくっていきたい^^


ちょっと長くなってしまったので今回の紹介はこのへんにしておきます。
こうやって小さな島の中で自分たちの手で何かをつくりだす中で感じることは、ひとつのもの、そしてひとりの人の大きさというものです。
限られた中だからこそ、ひとつのものをどのように活かすことができるかということが大きいし、活かすことができれば本当に大きな力をもつものななる。
島という人の少ない場所だからこそ、ひとりの人がもつ存在や力の大きさ、その人のもつ縁が大きな力になる。ひとりという存在こそが何より大事なものだと感じる。

このカフェを手伝わせてもらうなかでも足を運んでくださる方、そのひとりひとりの大きさを感じながら、大事にしながら、前につなげていけるように頑張ります!

カフェオープン期間中にちょこちょことこのブログでもカフェの様子を発信していきたいと思いますので、気にしていただけると嬉しいです。
ではまた^^

2013年9月18日水曜日

「誰か」×「自分」

お久しぶりのブログです。
ほんと、いつも間があいちゃう自分が情けない・・・。

でも今日は残しておきたいことがあるので眠くても書きます。

それは

誰かと一緒に何かをするのは自分一人でやるより面白いから

ってことだよな
ってことです。
それが今僕が睡眠時間を削ってでも書きたいこと。


僕はいま島で一つのチームの中で活動しています。
この人たちがいたことが僕が今この島にいる一番大きな理由とも言える、
そんな尊敬できる大人たちのいるチームです。

だけど尊敬してるだけじゃチームにはなれなかった。
内っかわにあるものをなかなか出せない、
尊敬してる人の前では自分のちっちゃな感性や考えや世界、等身大の自分をさらけ出せない自分を見透かされ、
自分が信じて、相手に信じてもらって初めてチームになれるんだと
ある日頭を打って痛感した。
こんなことを言って大丈夫かなとか
しょーもないとか思われたらどうしようかとか
そんなことをどっかで思ってたんだろう。
自分はプライドとかあんまり無い人間だと思ってたけど、
結局自分はこれくらいの人間だっていう体裁をどっかで守りたくて
みんなの背中
自分が思ってた以上にそれは根強くあったんだな。
でも自分が信じてる人に「信じてもらえてないんだな」って言われることほど痛く響くものはない。
ありのままの自分を受け止めて、何か持ってるんじゃないかと思ってたけどそうでもない自分も受け止めて、悲観的にじゃなくてまっさらな自分を受け止める努力、
そういう自分をさらけ出す努力をしなくちゃと思った。
それは「信じてます」と伝えたいから。

そう伝えたいのは自分一人でやっていくよりもいいものがつくれると確信できるから。
自分一人でやっていくよりも面白いものがみえると思うから。

自分一人でじゃなくて一緒に笑いたいひとがいるから。



誰かと何かをやっていくためにはそれが核になる動機なんじゃないかと僕は思う。
そういう動機があるから信頼関係をつくるための努力があるんじゃないかと思う。
もちろんそれぞれに特性やスキルや力をもっていてバランスよく効率よくチームを回すっていうのも必要なんだと思うけど、

ひとりでやってるほうが楽じゃんって思ってしまうとそこでチームは崩れてしまうんだと思う。

そう思ってしまうとモチベーションも上がらないし、気疲れも多いし、いいものなんてできるはずがない。
チームや組織として実は崩れてしまっていてもお金は稼げるのかもしれない。
「お前はそういうところにいるからそういうことが言えるんだ」って思われるかもしれないけど、そんなことは言われないように、僕の選択した道のなかで努力してちゃんと形にしていきます。


僕は仕事や友だちや恋愛、その他もろもろ、
誰かと一緒に何かをするのは自分一人でやるより面白いから、
っていうのを貫くための努力をし続けていこうと思う。


よし!今日は書いた!ので、おやすみなさい☆

みんなの背中2

2013年7月15日月曜日

小さな島の海の日

今日朝から浜掃除してて話を聞いたりしてちょっと考えたことを。


浜には自分たちが捨てたゴミじゃないものが大量に打ち上がってくる。
それは護岸工事をしているところにはゴミが溜まらず、
それらのゴミがまわりまわってなだらかな勾配のある浜に打ち上がってくる。

言ってしまえば島の人にとっては無縁のゴミのはず。
何の責任もないゴミ。

でもそこに住んでるから、
自分たちの浜だから、
自分たちの大好きな、誇りのある海の景観を守りたい、
ということでこうやって浜掃除をしてる。
僕もこの海から見える夕日や朝日、ここで子供達が楽しく遊ぶ光景が好きだからという気持ちがあるから参加させてもらった。

だけどこの前の神社の掃除の時にも書いたことだけど
ただでさえ高齢者の方が多く、エネルギーがあるわけではない。
しかも暑い中やるわけだ。最悪体調を崩す危険性もあるわけだ。

そうして浜に打ち上がるゴミの因果を考えると
島の自治会の範囲でやるべきことではなく
その地域の区分の行政がもっと広範囲の人を巻き込んでやらなくちゃいけないことだと思う。
地縁が残ってる今だからこそできることであって、自治会が機能しなくなった時代のことを考えるとそうしていかなくちゃいけない。
大きな町ではボランティアを募ったりというやり方がとられたりしてるだろうけど
小さな規模で、しかも離島だとどうするのと、なおざりにされがちな場所だからこそ見えるものがよくある。

海で安全に楽しむことができる裏にはそんな苦労もある。
それは世界中どこの浜でもそうなんだと思う。
今日浜の掃除をしてる中でルアーを見つけて「戦利品や!」って喜ぶおっちゃんもいるけどね^^
今日は海の日。あっつい夏を海で過ごす人も多いはず。海がもたらしてくれるいろんなものとどう向き合う?

2013年7月14日日曜日

牛島での一日から

昨日牛島という人口が13人になった島で織物などの作品を制作しながらゲストハウスを営む方のもとを訪れてきた。

決して小さい島というわけでもなく、
水脈が豊かで水田もあるような島が
経済成長の名のもとに置き去りにされてしまっている現状がそこにはあった。
人がいないからこその美しさや自然のたくましさはあるのだろうけど
もともとは廻船業で栄え、他の島よりも頭ひとつ抜けて豊かな島だったのに。
フェリーの定期便も減り、今は一日1、2本。

だけどそんな島にも自分の仕事を確立し、自分の生き方をつくるたくましい人がいた。
メディアに姿をさらすことなくほとんど口コミだけでゲストハウスを運営している方だ。
口コミだからこそ自分たちの打ち出すその場の魅力、ストーリーに惹きつけられる人が集まってきて、リピーターとなって、結果自分たちの世界を保つことができるのかなとも思う。

そんな海という大きな障壁があることで人が暮らしていくための生活の整備がそっちのけにされ置き去りにされてしまった島で自分で働き方・生き方をつくる者同士がネットワークをつくることができたら、
それが障壁ではなくブランドになり、そんな場でも生きていく、生活をつくっていく光を見出すことができるんじゃないかと思う。
少しずつ強く深いネットワークをつくっていけたら、と思う。

また行きたい、会いたい、つながっていきたい、そう感じ考えれた牛島での一日でした。


2013年7月10日水曜日

過疎地の未来

今朝近所の掃除をお手伝いさせてもらって考えたこと。
この島のような高齢化の進んだ過疎地では人手や力が足りていなかったり
新しい発想が生まれて来なかったりすることから起きる問題がたくさんある。

ひとつは例えば今日の掃除にしても昔はもっと人がいて頻度も多く手を入れることができていたけど
今は若い人もいなくなってるし年齢も高くなって思うように体を動かせなくなっている方ばかりになっていて
掃除はできて年に一回とかだから余計に一回の手間がかかって疲労感も大きくなる。
そうやって手の入れられない土地が増えていく。

そうなると例えば畑を利用しようにも何年も手を入れてないために
作物を育てる段階までもっていくのにすごい労働力、あるいは機械をいれたりと手間がものすごくかかる。

そうなると新しい人が入ってきて何かをしようとするときに最初からものすごいエネルギーが必要になる。

何が問題かというと本来利用価値のあるものが人によって手を入れられなくなっているために
利用できない状態になっていたり、改めて価値をもたせるために莫大なエネルギーが必要になるということ。
そこに人がいて手を入れることができて利用できる状態をキープすることができていたなら・・・

それは空き家にしてもそう。空き家もたくさんあるけど、中には人が出ていって何年も経つうちに木や雑草に侵食されて押しつぶされてしまっているものも何軒もある。

人が出ていってしまって一度さびれてしまった場所に活力を取り戻すというのはだからそんなことも含めて簡単なことじゃないんだなと改めて思う。負の連鎖がたくさん起きているから。

だけどそれだけ0に近い状態になったものを「ここをどうやって活かすか」とか「ここに人が来てこんなことが出来たら」とか考えてイメージすることっておもしろい。
何かを活かそうとする視点はきっとどこにいても大切なことだと思うし。
自分たちの発想や世界を形にしていける、自分たちのテリトリーが広がっていく、それって明るいことだと思う。
そうすると過疎地っていわれてるところはある意味での先端的な場所になっていけるポテンシャルをもっているとも思う。

決してネガティブな意味で島の現状を捉えているわけじゃなくて
島で生涯を貫いてここまで守り抜いてきた方々を誇りにも思うし
だからこうやって掃除の時とかには色んな事を教えてもらって、必死に頑張りますという姿をみせ続けたいなって思う。



2013年7月9日火曜日

社会人と学生の違い

「社会人と学生の違いは何だと思いますか?」
これは僕が就職活動をしていた頃に聞かれた質問。
その時に僕が答えたことは、
「学生には自由な発想ができて、自由に思いを抱くことができる。だけどそれを実現させるための現実的な方法を持てない。例えば事業にするためのお金とか。でも社会人にはそれができる。自分の思いを語るだけじゃなくて形にしていくことができる。それが社会人と学生の大きな違いだと思います。」

学生を終えて3ヶ月くらいが経ったけど、この考えは僕の中では変わらない。
そこにひとつ抜けてたのは社会的な責任かなーって思う。
今までは何かを受ける側、サービスやものを提供してもらう側にいたわけだけど、
これからは何かを提供する側、社会の中の誰かに対して自分の能力を提供する側に立つ。
そしてそれがこれからの社会をつくっていくことにつながる、それが社会に対する責任じゃないかと思う。
僕らがつくっていくもの、企業にしろ教育にしろ法律にしろ今度の選挙にしろ、それはこれからの社会を形作っていくひとつひとつの部品になっていく。小さくてもそれはそうなっていく。
だから今あるものを受け継ぐべきものもあれば、これからを考えてこうしたほうがいいんじゃないかというものもあるはず。

仕事や社会に関わることって社会に対して自分のもってるものをそれぞれの形で提供できるものだと思う。

責任っていうとネガティブに捉えがちだけど僕はポジティブにそう思う。

いろんなルールがある中だけど
そういうポジティブな責任に対する自覚をもつからこそ、
社会人として自分の思いを社会の中で具体的に形にしていく道筋が描けるんじゃないかと思う。

ふとそんなことを思う朝でした。

僕がほしいもの

最近なかなか自分の時間をつくれてなかったから
ちょっとぼーっとしようと思ってそうしてたら
ふと僕の手元にはまっすぐな歌詞の歌が多いなぁって思った。
クサいようなまっすぐな歌詞がつまった歌がいつも力をくれるんだと思った。
僕が欲しいものってそんなとこにあるんだなって思った。
すっごく単純に考えると僕が求め続けるものっていうのは
「生きてる」「活きてる」って感じれる瞬間で、
あつくなる、心が震えるような瞬間なんだと思う。

言葉だけを並べるとなんだか青臭くなっちゃうけど
それでも僕はそういうのが好きなんだ。
だからバンドが好きなんだ。漫画でもそういうセリフに弱いんだ。

それはちっちゃい頃から野球をやってたからなのかもしれないけど
野球をやっててチームメートがいて
みんなと声をあげたりとか本音でぶつかりあったりとかひたすら必死にやったりとか
そういう泥臭いのが好きなんだ。
でもそうやってあつくなるのは一緒にその時間その場を共有して共感できる誰かがいてくれるから。
決して一人じゃ味わえないもの。
誰かが言ってくれる言葉、誰かが見せてくれる姿、誰かが届けてくれる思い。

そうやってあつくなるのは学生のうちの学校の部活だけじゃないはずだ。
大人になったって、大人になったからこそのあつくなれる心が震えるような瞬間がつくれるんじゃないかと思う。
そんな相手が欲しいし、そんなつながりがつくれたらと思う。
別に体育会系がいいっていうわけじゃなくて、
今っていう時間、目の前にいる人、自分自身の思いに対して必死な姿とかかな。
人はすましてる姿じゃなくて一生懸命な姿に心を打たれるんだと思うから。
僕はそんなふうにずっとまっすぐでいたいって思うし
そうやってずっとまっすぐでいられたらどれだけ幸せなんだろうって思う。

結局は人がいて、その人とどんなつながりをつくっていけるか、
単純にいうとそれが何の混ざり気もない思いなんだろうな。

自分の日記に書いとけばいいようなすごく青臭いことを書いちゃったけど
僕がどんな人間かっていうのをまたひとつ知ってもらえたらなぁって思うし
みんなの毎日の活力に少しでもなったらなぁと思って、ね^^

2013年6月29日土曜日

「楽しさ」からはじまるもの

前回の投稿から随分間があいてしまいました・・・。
この間でいろいろと話をしてくれたり聞いてくれたり、アドバイスやメッセージを送ってくれたみなさん、ありがとうございました。
前回みんなを巻き込んでひとつの共有の場をfacebook上でつくろうという「Share Bar」の企画は焦ることなくぼちぼちとやっていこうと思います。
それより何よりまずは僕が自分の考えてること、感じてることを発信していかなくちゃいけない、そうやって自分の内をみせていくことで少しずつ共有するものが増えて共感につながっていったらいいなと思います。
そういう中でみんなと意見を交わしたいと思った題材を「Share Bar」という場を通じて一緒に考えていけたらと思っています。
自分個人の発信と「Share Bar」での共有を同時進行でやっていく形がとれればと思っています。


さて、僕は今、夜の時間を島の外のパチンコ屋でのアルバイトに充てています。
少し前の僕ならこうやってみんなの前で「パチンコ屋でバイトしてる」なんてことは言えなかったと思います。
正直僕はパチンコをする人に時間やお金の使い方などの面で良い印象をもてなかったし、パチンコ自体要るのかと思ってました。
働き始めた頃も、「毎日毎日なんでこんな害の多いところに来るんだ」とか「パチンコ台睨んでてても何も生まれないだろ」とか「若いのにこんなとこで時間つかうなよ」とか思うこともありました。
そこで反面教師としてお金や時間の使い方を考えさせられることも多かったわけど。

だけど、もちろん接客業をする者として良くない姿勢だし、それ以上にみんなと「共有したい、共感したい」と叫んでいるのに、自分が直に接している人の背景や心理を考えずに斜めに見てしまっている自分に気づきました。
こんな姿勢じゃあ何かを共有したり共感することなんて出来るはずないなと。

誰かと何かを共有したり、「そうだよね、そんなこともあるよね」と共感することにおいて、もしかすると一番その妨げになるのは「おかしいんじゃないの、ばかじゃないの」と相手を斜めから見ることなのかもしれない。

スポーツに表すとわかりやすいかもしれないと思うので、スポーツに例えてみると、
テレビや観客席で試合を見ている側は「なんであそこであんなプレーをするんだ」とか何だっていうことができる。プレーをする側じゃない外側から全体を見渡すことができるから批判したり何もかもわかったようなことをいうことが出来る。
だけど一方でプレーをしている内側にいる人にしかわからない臨場感や心理がある。緊張して思う通りにできないこともある。プロにしかわからない世界もある。毎日努力してきた人にしかわからないものもある。
そういうふうにお互いに違う立ち位置にいるから見えてるものが違って、お互いに距離があるから共有できるものが少なくなる。外側は外側で思うところがある一方で、内側は内側でそんな外側に「お前らにはできないだろ。お前は何もやってないじゃん。」となったりする。
極端かもしれないけど、斜めにみるっていうのはそういうことなんじゃないかなと思う。

斜めにみてると自分の正しさは自分の中では強まるかもしれないけど、結局相手のことはなにもわからないままなんだと思う。
正しさや間違いなんていうのはどこまでいってもわからないし、それぞれに「これが正しい」っていうのをもってるはずだから。

自分のなかでの正しさは誰かに押し付けることなんてできないだろうと思う。
だから共有して「そういうのもありだね」って言えたらいいなって思う。

じゃあどうしたら共有していけるのかなって考えたとき、
僕にとってその一つのイメージはライブだ。
それぞれ手を上げたり動き出したり違うやり方だけど、ひとつの演奏、音をもとに一緒にその場の空気を感じて楽しむあの場。
「楽しさ」っていうのは単純だけど、共有し共感するための大事な感覚なんじゃないかと思う。
「楽しさ」も人それぞれだけど、「楽しい」という感覚なら隣の人と分かち合える気がする。

そういう「楽しさ」という感覚を周りに伝染させていくことができたら共有していくことが出来るんじゃないかと思う。

斜めからみるんじゃなく、この人の楽しみはなんだろうと思いをはせることができたなら共感することができるかもしれない。そしたら「こういうのも面白いんじゃないか」って広げていくこともできるかもしれない。
僕がそういう心持ちになってパチンコ屋に来てるおばちゃんやお兄ちゃんと一緒に笑い合うことで、パチンコ台とじゃなくて人とふれ合うのも面白いかもってなるかもしれない。そしたらちょっと何かが自分の中で広がっていくかもしれない。

同じとこに立って「楽しみ」を共有できたら、共有できる範囲も広がったりと何かが広がって、何かが変わっていくかもしれない、と僕は思っていたいです。
そうやって共有や共感できた先に見えてくるものはすごく素敵なんじゃないかと僕は思うんです。

ものを燃やしたとこから生えてきたこの毒キノコもまっすぐに見てやるとうまそうに見えたり・・・とかないね。


2013年6月6日木曜日

「みんなと試してみたいことがあるんです。」

今、煮詰まって考えたあとに出てきた、幾つかのやりたいこと、試してみたいことがあるんです。

今日はみんなへひとつの提案をさせてください。

これから僕が、僕だけのことじゃないけど、つくっていきたいものには人のネットワークが重要になってくる。
だからこれまで周りの人々に共感を呼び込めれたらと、いろんなツールをつかって自分の思いや活動の報告、人間像、価値観などを発信してきたけど
発信の質も量も不十分で、まだまだうまく巻き込んでいけてないなと感じてた。

人を巻き込んでいくというのは自分自身のゲストハウスづくりに向けてもそうだし、
そういう意味だけじゃなくてもっと大きくいえば、周りが有機的にこれからの未来に向けてつながっていくことを目論んでいるんです。
これからの時代をつくっていくのは僕達、僕達の世代なんだと僕は思ってるから、
だから僕達の間でもっと共有して、共感していくことが大事だと思ってる。
それがつながりになって、ネットワークになって、力になっていくんだと。

だから、そこで「共感」というのをひとつテーマにしてみてある仕掛けをつくってみようと思う。

今もっている材料でできることを考えてみたときに、
facebookのグループ機能を利用できないかと考えた。
例えば「教師」「飲食業」「サービス業」とかっていうふうにみんなが就いた職業でカテゴライズしてグループをつくってみる。
そこで日々働いてる中で感じること、考えてることを共有する。
同じような立ち位置にいる者同士が共有し共感につながる関係、コミュニティができないかなと。

facebookっていうのは知り合いに向けて何かを発信して共有するものだけど
逆にそれが枷になって本音だとか悩みだとかみんなで考えてみたいことは言い難かったりする。
また、今の職場の人間関係では話しにくいことや、聞けないこともあると思う。

だからあえて大きくなりすぎたfacebook上の友だちの枠をしぼりこみ、現実の人間関係の立場や利益の枠組みから解放することで、突っ込んだ話やこういうのできないかなとかいう開放的な話、価値観の幅が広がるような話ができるかもしれないと考えたんです。そこから発展してじゃあこういう店、こういう教育法やってみないか?とまでなったりするとおもしろいし。
ある程度形になってきたところで、次は「飲食×建築」とか「教師×塾講師」とかグループ同士をかけあわせてみてもおもしろい発想にいたるかもしれない。

そうやって共有していくことがfacebookなどのSNSの本来の利用価値なんじゃないかなと僕は思うんです。

そういう仕掛けをつくってコーディネートしてみたいっていうのが僕の試してみたいことです。
そういう中で何か試してみたいことやプロジェクトができたときの試し打ちの場として、僕が島のゲストハウスとして土台を整えることができたらアイディアを形にしていくまでの一連の流れができると思うのです。それは利用価値を感じるなら島に来てくれたらいいだけで、そうでなくても自分たちの思うところでやってくれたらよくって、その魅力を感じてもらえるようにするのは僕のこれからの活動次第だと自分にとって良い負荷もかけれるわけです。

ただただ僕は人がつながっていくのを見てるのが好きなんです。
お互いにいいとこを見合って、より引き出して、混ざり合って、活かされて、おもしろいものができるのを見るのが好きなんです。
お金や利益や学歴や肩書きが前提の関係なんてもう見たくない。
自分の保身ばっかりを考えてる付き合いなんてもううんざりだ。
共感もできずに自分の立ち位置からしか物事が見れずに憎みあう、否定しあうなんてもういいだろう。
そんな関係を次の時代には残したくない。
一人の人として関係、つながりをつくれるような時代にしたい。
そのためには一人一人が主体を確立する努力、お互いを引き上げる協力が大切なんだと思う。
信頼できる関係とか一緒にいたいとかこいつといると面白いって思う関係っていうのは、お互いが自分のことだけを考えててできるものじゃないだろう。
様々な問題を解決していく時、例えば復興に向けて何か政策を考えるときに本当に必要なのはお金でもなんでもなく、まずは共感できる力だろう。

僕はそう思うから
そのためのひとつのステップとして共感を生み出せるような仕掛けをつくってみたい。
ほんとにちっちゃなとこからだし、お金になんてならないことだから社会人になってまで何やってんだって思われるかもしれないけど、そういうことじゃない。
こういうことはまずちっちゃいとこでできなきゃ何もできないだろうし、お金が僕の最優先事項ではない。だからって何も考えてないわけじゃないし、人から必要とされるなら後からついてきたりまわってくるもんだろう。

なかなか言えないこと言える場、ほしくない?
考えを試せる場、ほしくない?
みんなに伝えるための場、ほしくない?
自分の幅を広げる場、ほしくない?
みんなの考えてること、感じてること知れる場、ほしくない?

だからとにかくやってみたい^^
このアイディアが腐っちゃう前に。
僕の周りにいるみんな、試しにやらせてください。
バーっと書いたから抜け落ちてるとこもあるかもしれないのでこういうふうにやったらいいかもみたいなのあったら教えて下さい!
よろしくです!


2013年6月5日水曜日

煮詰まったらラッキー

ごぶさたしてました。
いろいろと考えること、感じることがあるけれど、
なかなか言葉にするということができなくてここまできてました。
とにかく書いてみてまとめてみよー。
今の時代、メールとかLINEとか便利なものが出てきて文章にするということが少ないので定期的にこういう時間をつくることは大切だとも思うので。


最近はそうだな、
自分の中で煮詰まることが多かったというのが正直なとこです。
自分は前に進めているのかっていうので考えることが多かった。
大まかなプランは組んで毎日ひたすら一生懸命にはやっているけれど、
自分のめざすもの、現段階のひとつのゴールはプロジェクトベース型のゲストハウスをつくるということ、それに近づいているのか、それに近づくためのステップをふめているのか、
そう考えているうちに足りないものばかりが見えてくる。
そうしてちょっと後ろ向きになると
自分がやっていることがたとえ成し遂げられなくても、大きな意義をもつ理念を掲げて今チームを組んでやっている人たちの理想が実現したらいいか、と思うようにもなってしまった時もあれば
島に新しい人間として来て、僕は新しい風を吹き込むようなことができているのかと思うこともあった。

だいぶ後ろ向きになってたなぁ

じゃあ何かを変えてみよう、やめてみようと思った。

それでひたすら一生懸命でいることをやめた。
やめたというより、見返してクールダウンするための時間をしっかりとるようにした。
ただ手を動かして作業を必死にやるだけというのはやめて、ぼーっとする時間、自分の好きなことをする時間を少し増やしてみた。
僕はひとつのものしか見えなくなってどうしても視野が狭くなってしまう人間だから。
そうやって自分がやっていること、これからやることに修正を加える。
手を動かして、ちょっとぼーっとして、頭を使って、
そうすると余裕ができる、新しいものがうかんでくる。


こうやって煮詰まってみるからこそわかることがあるし
煮詰まるまで考えるっていうのは、それくらい自分の考えてることに対して誠実なんだとも思う。

自分なりの方法論を確立するまでは失敗なんてないんだろうし、
時間をかけることを惜しんじゃいけないなと思う。
時間はかかって当たり前なんだろう。
社会人になったばかりで、初めてのことばかりなんだから。
でもきっと自分の成し遂げたいものを見つめ続けていたら、遠回りなんてないんだろうと思う。
どんなことも財産になっていくはず。
だから前に進めてないことなんてないんだと思った。

どんどんtryしてみて、また煮詰めて考えて、
煮詰まるまで考えたら、その後にはすーっとする瞬間があって、
そうやって自分のものにしていけたらいい。
僕はそう思います。いやぁ今すーっとしてるからね^^





2013年5月17日金曜日

情報源

こんばんは!
またまた間が空いちゃいました><
朝は島で動いて夕方から島を出て夜はバイトをして朝一で島に帰る、
そんな生活リズムになかなか慣れずに
スケジュールもまだうまく組み立てることもできてなくて
すべきことがちょっとずつできなくなってました。
何かを自分で作っていく人っていうのはきっと時間の使い方、オンとオフの使い分けが上手で、
ものすごくストイックなんだと思う。

そんな毎日の中でも情報は毎日取り込んでアンテナを張るようにしてます。
日々自分の周りの状況を知って、考えて、自分をアップデートすることは怠らないように。
今日は僕の情報源やアイディアのヒントとなるものなどをちょこっと簡単に紹介してみたいと思います。

[整理系]
①はてなブックマーク
 これは自分がいつも見ているホームページを整理することができるものです。例えばいろんな人のブログを見ているなら、それを[ブログ]とタグ付けしてまとめることができるんです。ただブックマークしておくと量がかさばってどれがなんだかわからなくなる、それを整理してくれるんです。
 そして自分がブックマークしてる傾向に合わせておすすめのホームページを表示してくれます。なので情報のアンテナを広げることもできるんです。
 またみんながブックマークしてる記事やホームページも特集してるので周りの傾向をつかむこともできます。
 これはほんとに便利なのでおすすめです!

http://b.hatena.ne.jp/

[アイディア系]
②グリーンズ
 これは面白いアイディア、社会をちょっとずつ変えていこう、できることから変えていこうという想いをもって動きを起こしている人や活動を共有するホームページです。こんなものがあったらいいのになというものから斬新なアイディア、使えるものを有効に利用した活動など、こういうこともできるんだというひらめきやヒントをくれます。社会を帰るって大きいように感じるけど、ちっちゃなとこから活動してたりするので、身近に感じられてそのハードルを下げてくれる。見てみるといいと思います!

http://greenz.jp/

③niice
 これはアイディアやイメージを膨らませてくれるツールとして僕は利用してます。単語を打ち込むとそれに関連した画像がでてきて、イメージに広がりができます。デザインをしてる人やアイディアに困ったときにはおすすめです。

http://www.niice.co/

[情報系]
④BLOGOS
 これは提言型のニュースサイトで、いろんな立場の人が書いたブログや記事がまとめられています。新聞などとは記事の内容や質も違うし、それ以上に大きな違いはある人が考えをまとめた記事に対して自分が発言できるというところだと思います。発言しなくとも周りの人が発言してるのを見て、いろんな角度からの考えを知ることができる。既存のメディアだと一つの視点からの考えに偏るし、ある一定の立場の人からの考え方だけど、ここでは自分と近い人や真逆の人の考え方を知ることができる。社会状況を知りながら、考え方に幅を出すことができる、そこからいろんな人の考え方がある中で自分はどういう立ち位置をとるかを考えたり、違う意見をどうすり合わせるかを考えることができる、そんな情報ツールとして利用してます。
 「意見をつなぐ」っていうキャッチフレーズが僕は好きです。

http://blogos.com/


 とりあえず今日はこの4つにしときます。
 こういう社会の中で情報に対してアンテナを張っていくことは自分の立ち位置を考えたり、自分や周りを守っていくために必要なことだし、便利になったからこそ自分でつかんで利用していくことは大事だと思うので共有してみました。
 みんなも「これいいよ!」っていうふうにどんな情報源をもってるか教えてもらえたら嬉しいです。
 でも何よりみんなが今いるところ、働いてたり勉強してたりするところから、みんなが日々もってる経験の中から得られる情報や考えを共有できると一番いいなと思う。先生をしてる人しかわからないこと、飲食業をやってるからわかること、フリーだから見えるもの、そういうものがあると思うし、それぞれにしか見えないもの、感じれないこと、考えられないこと、それを、生の声を共有できたらと思う。そういう意味ではつながりこそが最大の情報源だと思います。みんなの声を聞かせてもらえるとものすごく力になります。
 
 まずは僕が、日々自分が立っているところでさらされている情報、そして自分の外周りの情報、それらを受信して、それを発信につなげていく、これを大事にしていきます。

2013年5月4日土曜日

あるものをつかう

一週間ぶりくらいかな、間があいちゃいました。
ここのところ当面の生計をたてるためのバイトを始めたり、人が来たり、考えることが多かったりとバタバタしてました。

そんななかで考えてたことをちょこちょこ書いていきます。

今日は「あるものをつかう」ということについてちょこっとだけ。

こないだ『ガイアの夜明け』っていう番組を見ていて
その日は都会・地方ともに増加する空き家をどのように活かすかということをテーマとしていました。
東京では今、東京R不動産という不動産屋が人の手が長い間入っていない、もう厄介なものになってしまっている空き家を、オシャレに、あるいは家族向けにリメイクして価値あるものに生まれ変わらせるということをしている。
一方で、ある地方ではNPO法人が外に向けて空き家の情報を発信し、都会よりも低コストで提供し、そこに入ってきた人々に対して根を下ろして生活していけるよう積極的なサポートまでしていく。
そんな取り組み、姿が取り上げられていましたが、
その両方に共通していたことが「空き家を資産として位置づける」ということでした。
いらないもの、厄介なものとしてではなく、あるものを最大限資源として活かす、利用するという考え方がそこにはありました。

こっちに来て一世代、二世代前の人の話を聞いたりする機会があるけど
そこで感じるのは「あるものをつかう」という精神。
島にあるものを利用して何かをつくる、あるもので遊ぶ、あるものを食べる、そういう文化が残っている。
誰かが捨てたもの、いらないと感じたものでもそこに価値を見出して利用する。
その精神や文化っていうのは時代が変わっても大事だし、そういう規模でも人は生きていけるんだと感じた。
大阪にいたときは次々に新しいものを買って、そんなに古くはないしまだ使えるものでも捨てていたように思う。
自分にいるもの、使うもの、価値あるものの基準っていうのが自分の中にない生活になってしまってるし、外からの情報が僕らをそうさせてしまっていると僕は思う。
携帯電話、新しい機種と前の機種、そんなに大差あるの?
自分が利用するというより利用されてしまっている。
そんなふうに買い集めたものにはなかなか愛着はわかないから、また新しいものが出たら買って、捨てて、またお金が必要になって、そしたら必要な収入は増えて、っていうサイクルになる。

どんなスケールでこれから生きていくのかって考えることは必要なんじゃないかと僕は思います。

そういう中で僕が今イメージしてること。
この島には竹がたくさんあって、竹っていうのは繁殖能力が高いからどんどん侵食して、もともとあった生態系を崩してしまう。
その一面では厄介なものを資産として考えられないかと今考えてます。
クールな印象をもたせる竹をつかってものづくりをする。
いちから切り倒して、加工して、愛着をもってつくり、そこに僕という人間のもつストーリーをのせて、ものを作り上げることで、それを手にする人にその愛着とストーリーを届け、その人の生活につないでもらう。
そうやって愛着をもったものに囲まれていると新しいものは買う気にはならなくなるだろうし、生活のスケールを小さくすることができる。
そうすることでその人の使えるお金の選択肢が広がって、生活が少しずつ変化していくんじゃないか、
そういうことをイメージしてます。
これができたらあるものをつかって小さな小さな産業を生み出すことができるんじゃないかとも。
ただなかなか竹を扱うのは難しい。切るとバサバサしちゃうし、釘を打つと割れてしまう。
試行錯誤中です。
だけどそれもまた僕のストーリーの一部になっていくし、自分でものを生み出すことの大きさも感じ
ます。

今日は「あるものをつかう」っていうテーマで考えてることを書いてみました。
みんなも例えば冷蔵庫にあるものをつかってご飯をつくるということから始めてみてはどうでしょー?^^


2013年4月25日木曜日

自分の武器

僕が最近畑で草を抜いたりしながら考えてること。
それは
「自分の武器になるものってなんだろう?」
ってこと。

「自分の武器は何ですか?」
って自分にずっと問いかけてる。

僕は文系の学部出身で理系の人たちみたいに何かスキルを持ってるわけでもない。

就職活動をしていた時、自分の強みとか自己PRとかいろいろ言ってて
それは抽象的なもので
自分の芯として大事なもの、
自分の働き方の中でずっとそれはぶれずに持ってたいものではあるけど
ビジネスとして、具体的に形として何かを生み出す力とはまた別の気がするんだ。
いや、別なのかなぁ?


僕は昔から自分には何ができるんだ、自分はこの場に必要なのかと
一人思うことが多くて
だから人の顔色を気にしてばかりで
だから何も言えなくなって自分の中にしまいこんで
そこからの劣等感みたいなものが大きくて。
自分の存在の意味をずっと知りたくて感じてたくて。
ひとはみんなそういうものをもってるんだと思うけど
だから人とつながって自分のことを認めてくれてそんな人と一緒に笑ってられる時間が
僕にとっては何より大切なもので。
だから僕は人とつながって、ほんで人をつなげていきたいと思うんだ。
そんな場を、空間をゲストハウスという形として表現していきたいんだ。

自分のことをざっくり辿ってみて、
僕にとって手に入れていきたい、いちばんの、ほんものの武器っていうのは
「人」なんだと思う。
これを読んでくれてるようなみんななんだと思う。
自分の中にある劣等感とか、そういう感情からだって手に入れたい武器はみえてくるんだなと僕は思う。
もちろん僕の描くゲストハウスをつくりあげるには
たとえば工具を扱うスキルとかのような具体的な武器だって必要だ。
だけど自分の生き方のひとつのあり方としての働き方っていうものに
味や色を出していくにはそういう具体的な武器だけじゃ足りないんだろうな。
そういうスキルを持ってる人はざらにいるもんね。

毎日ものづくりをやったり畑仕事をしたりするなかでもスキルは身についていくし
でもほんものの武器として手にれていきたいものは見失わずにいたいと思う。
「人」を思いながら毎日のことをやっていくことで、ただのスキルにしないこともできるはずだし。

人や人の力という武器をこれからの中で最大限活かせるように、おもしろく形に落としこんでいけるように努力していきます。
その一つとしてこうやって発信すること、大事にしていきます。

今日は自分のこととか、感傷的なこととか混ざっちゃいました><
ありがとうございました。

2013年4月23日火曜日

フリーであること

もうすぐ島に来て1ヶ月。
1ヶ月なんてあっという間でした。
思ってた以上にあっという間でした。
僕は今は会社に勤めることもなくフリーな状態ですが
フリーって時間があるようでなかなか無いものなんだって
そういう状態になってみて初めてわかりました。
人から指示をされて淡々とやるべきことをこなす時間っていうものが無くって
だからこそ
ひとつひとつのことに意味を自分なりに感じ取って、
意味づけした時間にしていかなくちゃ
会社や組織に属してる人と同じ土台に立つことができないし
新しいものをつくっていくこともできないから
だから時間に対する負荷は人並み以上にかけていかなくちゃならない。
だから時間が過ぎていくのが早いって感じるんだろうなと思います。

だけどもっと島に来る前にやりたいこととか課題とか考えておけば
この1ヶ月ももっと濃く出来たんだろうなとも思うし
まだまだ現実に形にしていく過程を
具体的な行動に落とし込んで考える力は足りないなって思う。

何より情報に対するアンテナの張り方が甘かったなって痛感してます。
知らないことには、考えることさえできない。

だから知らないこと、わからないことは
「聞き流さない・聞き逃さない・聞き漏らさない」
っていうテーマを僕は今ほんとに大切にしてます。
「はい、はい」ってわかるふりして優等生ぶっててもわからないままだし、
自分に向けてエネルギーを割いて話してくれてる人に対して失礼だと思うから。
そうやって食らいついてでも聞いてくる若い子のほうが手がかかっても面白いって思うだろうし。
それは僕のような状態であればなおさら強く求めていかなくちゃいけない。

そうやってひとつひとつ知ったこと・感じたこと・考えたことを積み上げて、
そこからまた人と話ができるようになって、
自分の体をつかって形にして、
そしてまたわからないことを見つけて、
そういう試行錯誤を繰り返して
積み重ねていく一日一日を大切にしていきます。

2013年4月22日月曜日

日々ものづくり

僕はいま、ものづくりの修行中です。

自分の部屋の床はりから始まり、棚やテーブル、カウンター、縁側まで、横について教えてもらっています。

電動のこぎりを使ってみるけどなかなかまっすぐに切るのは難しい。
ドリルで穴をあけるにも接続を考えなきゃネジをさしてもきかない。
ドライバーをまわし続けてると腕は筋肉痛。
ドライバーひとつでも力加減しないとネジ穴が潰れてしまう。

でもそうやって不器用にも自分の手でつくったものっていうのは
愛着がわくんです。
ひとつひとつ切ったもの、穴をあけたものが組み合わさって形になっていくのを見ると
楽しいし嬉しいんです。
自分の手で何かをつくりあげていくことの楽しみはやっぱり尽きないです。
それは何にしてもそうなんだろうと思う。
料理にしても絵を描くにしても音楽にしてもプロジェクトにしてもイベントにしても。
だけども今はいろいろと便利になってるから、効率が良くなってるから
料理も既成食品を使ったりしてちゃちゃっとできちゃうし
コンピューターや機械が人の代わりにやってくれるし
そうやって大量に生産されて僕たちは大量に消費してる。
その中で失くしてしまってる楽しみや想いや生きがいはたくさんあるんだろうなと思う。
だけど僕は自分の手でやる実感や楽しみは味わってたいなと思う。

そこにまたいろんな人が交わるともっと楽しいんだろうなって思うから
僕は僕で今はスキルを身につけていきたいと思います。
料理もつくってくれる人がいるからおいしさが増すし、
食べてくれる人がいるから今度は何つくろうとか何を混ぜようとか考えて楽しくなるよね。
一対一だけじゃなくて、つくる人も「わたし材料を切る人」「僕煮込む人」「じゃあ俺盛り付ける人」、みたいにいろんな役割ができるともっと楽しくなるし。

そうやってつくってるひとが実感や楽しみ、愛着を感じ、届けたいひとの顔を想像しながらつくったものを
いろんな人がつくってる人の顔や想いを思い浮かべて手にとる、
そんなふうにものが人の間を行き来するようになるといいなぁ

と思いながら修行にはげむ毎日です。