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2013年5月4日土曜日

あるものをつかう

一週間ぶりくらいかな、間があいちゃいました。
ここのところ当面の生計をたてるためのバイトを始めたり、人が来たり、考えることが多かったりとバタバタしてました。

そんななかで考えてたことをちょこちょこ書いていきます。

今日は「あるものをつかう」ということについてちょこっとだけ。

こないだ『ガイアの夜明け』っていう番組を見ていて
その日は都会・地方ともに増加する空き家をどのように活かすかということをテーマとしていました。
東京では今、東京R不動産という不動産屋が人の手が長い間入っていない、もう厄介なものになってしまっている空き家を、オシャレに、あるいは家族向けにリメイクして価値あるものに生まれ変わらせるということをしている。
一方で、ある地方ではNPO法人が外に向けて空き家の情報を発信し、都会よりも低コストで提供し、そこに入ってきた人々に対して根を下ろして生活していけるよう積極的なサポートまでしていく。
そんな取り組み、姿が取り上げられていましたが、
その両方に共通していたことが「空き家を資産として位置づける」ということでした。
いらないもの、厄介なものとしてではなく、あるものを最大限資源として活かす、利用するという考え方がそこにはありました。

こっちに来て一世代、二世代前の人の話を聞いたりする機会があるけど
そこで感じるのは「あるものをつかう」という精神。
島にあるものを利用して何かをつくる、あるもので遊ぶ、あるものを食べる、そういう文化が残っている。
誰かが捨てたもの、いらないと感じたものでもそこに価値を見出して利用する。
その精神や文化っていうのは時代が変わっても大事だし、そういう規模でも人は生きていけるんだと感じた。
大阪にいたときは次々に新しいものを買って、そんなに古くはないしまだ使えるものでも捨てていたように思う。
自分にいるもの、使うもの、価値あるものの基準っていうのが自分の中にない生活になってしまってるし、外からの情報が僕らをそうさせてしまっていると僕は思う。
携帯電話、新しい機種と前の機種、そんなに大差あるの?
自分が利用するというより利用されてしまっている。
そんなふうに買い集めたものにはなかなか愛着はわかないから、また新しいものが出たら買って、捨てて、またお金が必要になって、そしたら必要な収入は増えて、っていうサイクルになる。

どんなスケールでこれから生きていくのかって考えることは必要なんじゃないかと僕は思います。

そういう中で僕が今イメージしてること。
この島には竹がたくさんあって、竹っていうのは繁殖能力が高いからどんどん侵食して、もともとあった生態系を崩してしまう。
その一面では厄介なものを資産として考えられないかと今考えてます。
クールな印象をもたせる竹をつかってものづくりをする。
いちから切り倒して、加工して、愛着をもってつくり、そこに僕という人間のもつストーリーをのせて、ものを作り上げることで、それを手にする人にその愛着とストーリーを届け、その人の生活につないでもらう。
そうやって愛着をもったものに囲まれていると新しいものは買う気にはならなくなるだろうし、生活のスケールを小さくすることができる。
そうすることでその人の使えるお金の選択肢が広がって、生活が少しずつ変化していくんじゃないか、
そういうことをイメージしてます。
これができたらあるものをつかって小さな小さな産業を生み出すことができるんじゃないかとも。
ただなかなか竹を扱うのは難しい。切るとバサバサしちゃうし、釘を打つと割れてしまう。
試行錯誤中です。
だけどそれもまた僕のストーリーの一部になっていくし、自分でものを生み出すことの大きさも感じ
ます。

今日は「あるものをつかう」っていうテーマで考えてることを書いてみました。
みんなも例えば冷蔵庫にあるものをつかってご飯をつくるということから始めてみてはどうでしょー?^^


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