osp

osp

2013年7月10日水曜日

過疎地の未来

今朝近所の掃除をお手伝いさせてもらって考えたこと。
この島のような高齢化の進んだ過疎地では人手や力が足りていなかったり
新しい発想が生まれて来なかったりすることから起きる問題がたくさんある。

ひとつは例えば今日の掃除にしても昔はもっと人がいて頻度も多く手を入れることができていたけど
今は若い人もいなくなってるし年齢も高くなって思うように体を動かせなくなっている方ばかりになっていて
掃除はできて年に一回とかだから余計に一回の手間がかかって疲労感も大きくなる。
そうやって手の入れられない土地が増えていく。

そうなると例えば畑を利用しようにも何年も手を入れてないために
作物を育てる段階までもっていくのにすごい労働力、あるいは機械をいれたりと手間がものすごくかかる。

そうなると新しい人が入ってきて何かをしようとするときに最初からものすごいエネルギーが必要になる。

何が問題かというと本来利用価値のあるものが人によって手を入れられなくなっているために
利用できない状態になっていたり、改めて価値をもたせるために莫大なエネルギーが必要になるということ。
そこに人がいて手を入れることができて利用できる状態をキープすることができていたなら・・・

それは空き家にしてもそう。空き家もたくさんあるけど、中には人が出ていって何年も経つうちに木や雑草に侵食されて押しつぶされてしまっているものも何軒もある。

人が出ていってしまって一度さびれてしまった場所に活力を取り戻すというのはだからそんなことも含めて簡単なことじゃないんだなと改めて思う。負の連鎖がたくさん起きているから。

だけどそれだけ0に近い状態になったものを「ここをどうやって活かすか」とか「ここに人が来てこんなことが出来たら」とか考えてイメージすることっておもしろい。
何かを活かそうとする視点はきっとどこにいても大切なことだと思うし。
自分たちの発想や世界を形にしていける、自分たちのテリトリーが広がっていく、それって明るいことだと思う。
そうすると過疎地っていわれてるところはある意味での先端的な場所になっていけるポテンシャルをもっているとも思う。

決してネガティブな意味で島の現状を捉えているわけじゃなくて
島で生涯を貫いてここまで守り抜いてきた方々を誇りにも思うし
だからこうやって掃除の時とかには色んな事を教えてもらって、必死に頑張りますという姿をみせ続けたいなって思う。



0 件のコメント:

コメントを投稿